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『稲盛和夫一日一言』 12月8日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 12月8日(金)は、「利他の心を判断基準にする」です。

ポイント:利己にとらわれない正しい判断基準、価値観を持つことができるようになってはじめて、私たちは「足るを知る」ことができ、「豊かさ」を実感できるようになる。

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、「利を求める心」について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 利を求める心は、事業や人間活動の原動力となるものです。ですから、誰しも儲けたいという「欲」はあってもいい。しかし、その欲を利己の範囲にのみとどまらせてはなりません。人にもよかれという「大欲」をもって公益を図ること。そうした利他の精神がめぐりめぐって自分にも利をもたらし、またその利を大きく広げもするのです。

 会社を経営するという行為をとってみても、すでにそれだけでおのずと世のため人のためになる「利他行」を含んでいるのです。
 いまでこそ修身雇用制は崩れつつありますが、社員を雇うということは、その社員の面倒をほぼ一生にわたってみなくてはならない義務が生じることを意味します。ですから、少人数であれ社員を雇用しているというだけで、すでに「人のため」になっているのです。

 それは個人でも同じです。独身のときには、自分一人の生活をよくすることを最優先してきた人が、結婚をして家庭を築き、自分だけではなく奥さんのために働き、子どもも育てて守っていこうとする。そうした行為には、やはり無意識のうちに利他行が含まれているのです。

 ただし、気をつけなければならないのは、利己と利他はいつも裏腹の関係にあるということです。つまり、小さな単位における利他は、より大きな単位でみると利己に転じてしまう。例えば、会社のため、家族のための行為には、確かに利他の心が含まれていますが、「自分の会社さえ儲かればいい」「自分の家族さえよければいい」と思ったとたん、それはエゴへとすり替わり、またそのレベルにとどまってしまうのです。

 したがって、そうした低いレベルの利他にとどまらないためには、より広い視点から物事を見る目を養い、自分の行いを相対化してより大きな単位で見るということが大切になります。
 例えば、自分の会社だけ儲かればいいと考えるのではなく、取引先にも利益を上げてもらいたい、さらには消費者や株主、地域の利益にも貢献すべく経営を行う。また、個人よりも家族、家族よりも地域、地域よりも社会、さらには国や世界、地球や宇宙へと、可能な限り利他の心を広げ、高めていこうとする。

 すると、おのずとより広い視野を持つことができ、周囲のさまざまな事象についても目配りができるようになってきます。そうすると、客観的な正しい判断ができるようになり、失敗も回避できるようになってくるのです。(要約)

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の「利他の心を判断基準にする」の項の中で、名誉会長は次のように説かれています。

 人間というものは、自分にとって都合がいいのか悪いのか、得なのか損なのか、儲かるのか儲からないのかというふうに、とかく自分を中心に据えて物事を判断しがちです。

 ところが、そうした自らの肉体を守ることを最優先とする「本能」に従って物事を考えた場合、周辺の人に損をさせたり、後々大きな問題を引き起こしてしまう恐れが出てくるわけです。
 残念なことに、「自分だけよければいい」という本能だけに満たされた人が、巷にはうごめいています。そして、取った取られた、儲かった損をしたと、血みどろの戦いに明け暮れています。


 しかし、「利他の心」を持った人がそのような世間を見ると、一段高いレベルの判断基準をもっていますから、あらゆることがよく見えます。自分では正しい判断をしたつもりの巷の人たちが、もう少し進めばつまづくことになるということまで分かってしまう。

 悟りをひらいていない我々凡人であっても、何かしら判断しようとする際に、「この判断は自分にとってもいい判断であり、また相手も喜んでくれるはずだ」と確信できて初めて判断を下すといった習慣を身につけることができれば、より素晴らしい判断をすることができるようになっていくはずです。(要約)

 自分のことだけを優先するのではなく、周りの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断をするようにしていく。
 そうした心がけが、「足るを知る」ことの実践となり、心の「豊かさ」にもつながっていくのではないでしょうか。


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