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『稲盛和夫一日一言』12/26(月)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 12/26(月)は、「美しい魂をつくる」です。

ポイント:人間が死を迎えるとき、肉体をはじめとして形あるものは何一つ残せないが、唯一自分の生きた人生の結果として、「魂」だけは来世に持ち越すことができる。人生は、美しい魂をつくり、磨くために与えられた時間であり場に他ならない。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で、人間の死というものについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 個々人の人生というものを考えたとき、我々はやがて死を迎え、肉体が朽ち果てていきます。地球上にこの肉体を置いて死ぬわけですが、肉体だけが人間ではありません。肉体の中に秘めた魂というものを持っていると私は思っています。肉体は朽ちても、その魂が新しい旅立ちをしていくことが人間の死なのだと、私は考えているのです。

 人生の目的とは、死を迎え、魂が新しい旅立ちをしていくときに、生まれてきたときに持ってきた魂よりは少しでも美しいものにしておくことです。
 この厳しい現世で荒波にもまれて苦労し、また楽しいことも経験して、波瀾万丈の人生を生きていく中で自分の魂を磨き清めて、生まれたときよりは少しでも美しくなった魂が新しい旅立ちをしていく。それが人間の死というものではないかと思うのです。

 魂を磨き、心を高めていくことは、人格を高めていくということです。心が美しくなり、心が高まっていく。魂が磨かれ、立派な魂になっていくということは、とりもなおさず、それはその人の人格に反映していきます。
 あの人は若いころ、もっと粗野であったのに、もっと短気だったのに、だんだんと年を重ねるにしたがって、人生でさまざまな試練に遭い、経験を積み、苦労を重ねていく中で人間ができていった。つまり、人格が高まっていったと言われるような、そういうものでなければなりません。(要約)

 自分は、「魂を磨き、心を高めるために生きている」と言える人はそう多くないと思います。また、「魂だけは来世まで持ち越すことができる」といった死生観を持っておられる人も、同様にそう多くはないように思います。

 しかし、宇宙スケールでの悠久の時の流れの中では、自分が生きている一生の時間は一瞬の光の輝きにも匹敵しないほど微小なものであるということは、誰しも漠然とは理解し、納得している事実であるように思います。

 人生を終え、死を迎えようとするとき、「ああ、いい人生だった。少なくとも生まれてきたときよりも魂を磨くことはできただろう。自分はそういう人生を生きることができた」と満足して死んでいけるかどうか。

 人間の一生を基準に考えれば長短はあるものの、この世に生まれてきたからには、誰にも魂を磨くために一定の時間と場所が与えられている、と考えることができれば、今日の一言も腑に落ちるのではないでしょうか。



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