『稲盛和夫一日一言』 4月1日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4月1日(月)は、「人生の目的」です。
ポイント:波瀾万丈の人生の中で、心を純化し、人格を磨いていく。それが人生の本当の目的。
2001年発刊の『稲盛和夫の哲学 人は何のために生きるのか』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、人生の目的について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
普通、人が現世に生きていることを実感し、それを意識し始めるのは、物心(ものごころ)がついたあとです。生まれてから物心がつくまでの間は、何のために現世に生を受けたのか意識していません。
また、物心がついてからもしばらくは、親の庇護のもと、ただ生きることに精一杯で、十二、三歳ごろからようやく人生というものについて考え始めるのでしょう。
例えば、勉強のできる子はその道を一生懸命に歩きます。そして、立身出世のために努力しているうちに、それが人生の目的となります。
一方、勉強のできない子は、途中で若干挫折感を味わいます。そして、働きながら浮世でさまざまなことを経験するうちに、「たった一回しかない人生だから、暗く切ない人生を送るよりは、おもしろおかしく楽しく生きようではないか」と考えるようになる人も出てきます。
しかし、次第に歳をとってくると、立身出世の道を歩いてきた人も、おもしろおかしく楽しい人生を送ろうと思って生きてきた人も、人生の目的が変化していきます。
それは、次第に死というものが近づいていると感じるようになるからです。すると今度は、健康に長生きすることが人生の目的となってきます。
長生きをするということは、「肉体を永(なが)らえる」ことを意味しています。衰えてくる自分の肉体を守り、永らえさせるためには、人様のことなど考えていられませんから、エゴ丸出しで、「自分さえよければいい」という気持ちが強くなっていきます。
本来歳をとると、経験を積んで人格も円満になり、人格が高まっていかなければならないのに、健康という肉体に対する執着がエゴを増大させ、欲ボケや醜い老いをもたらすようになります。今の日本では、そうした流れがより強くなっているように感じます。
結局のところ、人間の生き方はさまざまです。しかし、立身出世をしてみたところで一代限りであり、名声も地位も財産も、決してあの世へ持っていくことはできません。肉体をこの地上に残し、あの世へ向かうのは、魂、すなわち意識体だけです。
また、現世をどんなにおもしろおかしく生きたとしても、死んだあとに残る魂が、単に「おもしろかった」と感じるだけでは人生の意味もないでしょう。
死んだ後に残る魂、意識体そのものの価値が問われるのが、私たちの人生なのではないでしょうか。
生きている間にどのくらい世のため人のために貢献したか、つまり生きているうちにどのくらい善きことをしたかが、万人に共通する魂の価値ではなかろうかと、私は思うのです。
人間性を磨くこと、すなわち魂を磨くこと、それが大事なことであり、魂を磨く、つまり人間性を高め、素晴らしい人格を身につけることこそが、人生の本当の目的なのです。それを抜きにして現世を生きる意味はありません。(要約)
「何のために生きるのか」とか「自分の人生の目的は何か」と問われて即答できる人はそう多くはないでしょう。しかし歳を重ねるにつれて、「自分はどんなふうに死んでいくのか」ということだけは、誰もが多かれ少なかれ意識するようになります。
多くの企業にとって、4月1日は年度初めの重要な日となっていると思います。私も現役のころから、元旦と同じくらい重要な節目ととらえてきただけに、退職した今もその感覚だけは強く残っています。
人生の最終的な目的はどこにあるのか、そうしたことに思いを馳せ、今後の自分の人生を少しでも価値あるものにしていけるよう、精進を怠らずに生きていきたいものです。
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