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『稲盛和夫一日一言』 4月14日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4月14日(日)は、「リーダーたるべき人」です。

ポイント:地位や名誉、お金といった利己の欲望を抑え、集団のために謙虚な姿勢で尽くす「無私」の心を持ったリーダーであれば、部下は尊敬し、心から従ってくれるはず。

 1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす ー素晴らしい人生をおくるためにー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、「無私の心が人を動かす」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人を動かす原動力は、ただ一つ「公平無私」ということです。
 無私というのは、自分の利益を図る心がない、あるいは、自分の好みや情実で判断をしないということです。

 無私の心を持っているリーダーならば、部下はついてきます。逆に、自己中心的で私欲がチラチラ見える人には、嫌悪感が先立ち、ついていきかねるはずです。
 明治維新の立役者、西郷隆盛は、「金もいらない、名もいらない、命もいらないという奴ほど、始末に負えないものはない。しかし、そうした始末に負えない者でなければ、国家の大事を任せるわけにはいかない」という言葉を残しています。
 つまり、私欲がない者でなければ、高い地位につけるわけにはいかないと言っているわけです。

 リーダーの指示ひとつで、部下の士気も上がれば、部下が苦しむことにもなります。それなのに、自分の都合によって指示をしたり、物事を決めたり、感情的になっていたのでは、誰もついてきません。

 リーダーは、まず自らの立つべき位置を明確にすべきです。そして、私利私欲から脱却した、「自分の集団のために」というような大義に、自らの座標軸を置くべきです。(要約)

 今日の一言では、「会社がうまくいきだすと傲慢になってしまう経営者や、役職が上がるにつれ、威張るようなリーダーでは、社員の心は離れていってしまう」と書かれています。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、私心のない判断を行うことの大切さについて、名誉会長は次のように説かれています。

 何かを決めようとするとき、少しでも私心が入ればその判断はくもり、結果は間違った方向へ行ってしまいます。

 人はとかく、自分の利益となるほうへ偏った考え方をしてしまいがちです。みんなが互いに相手への思いやりを忘れ、「私」というものを真っ先に出していくと、周囲の協力は得られず、仕事もスムーズには進みません。
 またそうした考え方は、集団のモラルを低下させ、活動力を鈍らせることにもなります。

 端的に言えば、「自分というものを無きものにして物事を考える」、もっと極端に言えば、「自分を犠牲にして物事を考える」ということが、ここで言う「私心のない判断を行う」ということです。

 人間が物事を考えるときには、必ずと言っていいくらい、私心、自分というものが入ってきてしまいます。それはなぜかというと、人間には自分を守ろうとする本能があるからです。しかし、物事を判断するときには、自分のことを棚に上げて考えなければなりません。

 損をしたくないという一心から、自分に都合のいいようにとばかり考え、相手の思惑と絡まり合って解けなかったような問題が、じぶんというものを除いて考えたとき、相手も喜び、自分も喜べるような最良の解決法をスッと思いつくことがあります。

 私心のない判断をしていくには、結論を出す前に「ちょっと待て」と一度深呼吸をしてみる。そして、自分のことを無視して、問題を第三者の立場から考えてみる。そうすれば、必ず最良の解が見つかるはずです。

 私たちは、日常の仕事にあたって、自分さえ良ければという利己心を抑え、人間として正しいか、私心を差し挟んでいないかと、常に自問自答しながら物事を判断していかなければならないのです。(要約)

 私心が見え隠れするようなリーダーからの指示に、喜々として従う部下はどこにもいないでしょう。
 しかし、いかなる逆境にあろうとも、リーダー自身が率先垂範、誰から見ても正しいと思える正道を踏み行っていくならば、部下は必ず心から従ってくれるはずです。

 リーダーには、常に自分の都合や利益を優先させることなく、社会や集団のために自らの行動を律するモラル、規範を持つことが求められます。
 私自身、京セラフィロソフィを学び実践しようと心がけてきたおかげで、自らの律し方を身に付けることができたのではと思っています。


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