見出し画像

『稲盛和夫一日一言』 9月4日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 9月4日(月)は、「利潤は士の禄に同じ」です。

ポイント:石田梅岩の教え「商いは、卑劣な行為ではない。商人が利潤を得ることは、武士が俸禄をもらうことと本質的には何も変わらない」
 その根底にあるのは、卑怯な振る舞い、不正な振る舞いで利益を求めてはいけないということ。

 2022年発刊の『経営のこころ 会社を伸ばすリーダーシップ』(稲盛和夫述 PHP研究所)の中で、利益追求の目的と意義について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 経営をしていくうえで、最初に私が遭遇して悩んだのは、利益追求ということをどのように従業員に分かってもらうか、ということでした。
 みんなに納得してもらううえでどうしても気になったのは、「あなたはきれいごとを言っているけれども、結局、企業というのは利益追求が目的なんでしょう」と言われることでした。

 それは、まさに私は利益を出さなければならないと思って、みんなに「頑張れ、頑張れ」と言っているわけですが、利益を求めることはダーティというか、汚いというか、私自身にもいくらかそんな思いがあったからです。

 そんなとき救いになったのが、松下幸之助さんが言われた次のような言葉でした。「天下の資材を使い、天下の人材を使って事業を営み、赤字を出すというのは、罪悪を犯しているようなものだ」

 悩んだすえに気がついたのは、利益追求とは汚いことでも何でもないということでした。利益がなければ昇給もしてあげられないし、ボーナスも出せません。もし利益が出なくて、従業員の人件費やら何やらで一定の経費だけがかかるとしますと、それだけでいっぱいいっぱいで余裕がなくなり、もう来年の昇給はできないことになります。
 今、利益があるということは、来年も再来年も昇給の余裕があるということです。つまり、経営に余裕があるということは、将来の保証になるわけです。

 では、上がった利益をどうするか。半分は税金に取られますが、残ったお金は会社に内部留保として入れる。
 私は従業員に対して、「天地神明に誓って利益を私物化する気はありません。今後、従業員のためにもっと会社を立派にしていかなければなりませんので、このお金はそのために取っておきます」と、正々堂々と話しました。
(要約)

 江戸時代の思想家、倫理学者である石田梅岩(いしだばいがん)は、1739年に出版した『都鄙問答(とひもんどう)』の中で次のように述べています。
 「商人で道を知らない者は、ただ貪(むさぼ)ることだけをして家を滅ぼす。商人の道を知れば、欲心から離れ、仁心で努力するので、道にかなって栄えることができるだろう。これが学問の徳というものである」

 十分に勉強し、欲心から離れ、人を思いやる心を持つのが商人である、との教えは、学ぶことで自分の仕事に正しく向かい合うことができ、それが労働の質をも向上させることができると考えた。
 梅岩は、封建制の世の中にあって「士農工商」という職能に基づく身分制の最も下位に位置する商人が生きるべき道、「商人道」を説いたわけです。

 時代劇では、よく代官と結託して私腹を肥やす悪徳商人が登場したりしますが、その構図は現代でも今なお存在しているように感じます。

 だからこそ、「利を求るに道(どう)あり」なのではないでしょうか。
 経営とは利益を求めるものだが、しかしそれには道があるのであって、どんなことをしてでも儲かればいいというものではない。利益は追求するけれども、それは人間として正しい道を踏んだ結果としての利益であり、それを外れれば、必ず破綻してしまう。

 肝心なのは、稲盛経営12ヵ条 第9条 勇気をもって事に当たる 卑怯な振る舞いがあってはならない、ということ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?