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『稲盛和夫一日一言』5/26(金)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5/26(金)は、「反省を習慣化する」です。

ポイント:自分を見失わないためには、意識して反省をする習慣をつけなければならない。反省ある日々を送ることにより、自身の欠点を直すことができ、人格を高めることができる。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、反省ある人生を送ることの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 我々人間は肉体を持って生まれていますから、自らの肉体を維持していかなければなりません。つまり、食事や睡眠をとらなければ生きていけない。それゆえ、元々己を守ろうとする心、すなわち利己的で欲望に満ちた心を持っているのです。

 それは本来、肉体を維持していくために神様が与えてくれた心なのですが、何の手入れもしないで放っておくと、心は必ず利己的で強欲なもので満ち満ちてしまいます。そこで、「反省」ということが大事になるわけです。

 反省を繰り返して常に心を純粋にしておかなければ、素晴らしい考え方、素晴らしい人格、素晴らしい人間性、そうしたものを維持していくことは不可能です。ましてや、人格や人間性を向上させることなどできるわけがありません。己の心を純粋にして、自身の行動を善の方向へと向けていくためにも、「反省」は欠かせないものなのです。

 しかし、人間は不完全な生き物ですから、スキあらば悪さをしたり、自分の欲望を満たそうとして間違いを起こします。それはそれで人間らしいことではあるのですが、やはり悪いことは悪いとして、常に反省を繰り返し、今よりも悪くならないようにしようと心がけることが大事です。

 日々反省ができるような人は、謙虚な人でもあるはずです。謙虚な姿勢がなければ、ラッキーを呼び込むことはできません。ですから、どんなに立派なことを成し遂げたとしても、決して傲慢(ごうまん)になってはいけません。そのためにも、自ら反省を繰り返す人生を送らなければならないのです。(要約)

 今日の一言には、「忙しい毎日を送っている私たちは、つい自分を見失いがちです。そうならないためには、意識して反省をする習慣をつけなければなりません」とあります。

 会社でとなりの人からヘルプを頼まれたが、自分も忙しいからと断った、床にゴミが落ちていたが見てみないふりをした、重い荷物を持って階段を上がっている年配の方がいたが急いでいることにして素通りした、などなど、私たちの日常には「悪さ」とまではいかないまでも「利己」を優先さえてスルーしてしまいがちな事柄がたくさんあります。

 あなたが車に乗っていて、信号機のない横断歩道に歩行者が近づいてくるのが目に入ったとき、果たしてアクセルからすぐに足を離し、同時にブレーキをかけても後方車両に追突されない十分な車間距離があるかどうかバックミラーで確認する、といった一連の行動を瞬時にとれているでしょうか。

 早く気づいたときは停まるが、まだ間に合いそうだからとか、歩行者が立ち止まってくれるだろうと安易に考えて、そのままアクセルを踏み込んでやり過ごす、といった人も少ないないように思います。
 そうしたとき、無意識に、また無条件に車を停まるようにするには、停まるということを習慣化し、習い性になるまで、自分の心に歯止めをかけていくしかありません。

 私は、習慣化する、習い性にするとは、何か行動を起こそうとする際に、その行動を発動させるためのエネルギーレベルを下げてくれるものだと思っています。
 意識して反省する習慣を身につけることで、人格、人間性を維持する、またさらに高めていくこともできるのではないでしょうか。


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