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『稲盛和夫一日一言』 8月25日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 8月25日(金)は、「『今』を生き切る」です。

ポイント:北極圏のツンドラ地帯では、短い夏の間に多くの植物がいっせいに芽吹き、花を咲かせ、種をつくって、ごく短い生を精いっぱい濃密に生きている。それは、ただひたすら「今」を生き切ろうとしているように見える。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、一日一日をど真剣に生きることで人生は変わっていくとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人生はドラマであり、一人一人が主人公です。大切なことは、そこでどういうドラマの脚本を描くかです。
 運命のままにもてあそばれていく人生もあるかも知れませんが、自分の心、精神というものを作っていくことによって、また変えていくことによって、思いどおりに書いた脚本で思いどおりの主人公を演じることもできるのです。

 人生というのは、自分の描き方一つです。ボケっとして生きた人と、ど真剣に生きた人とでは、脚本の内容はまるで違ってきます。
 たった一回しかない人生を、漠然と無意味に過ごすことぐらいもったいないことはありません。天地自然は、この宇宙で必要だったからこそ、我々を存在させていると私は考えています。
 誰も皆、決して偶然にこの自然界に生を受けたわけではないのです。この宇宙にとって自分は大切な存在なのだと、まずは信じるべきです。

 北極圏のツンドラ地帯では、あっという間に夏が過ぎていきます。そのため、夏になると植物たちはいっせいに芽吹き、できるだけたくさんの花を咲かせ、種子をつくり、そして来るべき厳しい冬を乗り切ろうとします。

 またアフリカの砂漠にも、年に一回か二回は雨が降るといいます。その雨が降るやいなや、すぐに植物が芽を出し、花を咲かせる。そして、一、二週間という本当に短い間に種子を宿し、また次の雨が降るまでの間、厳しい熱砂を耐え、生き延びていきます。

 このように、自然界ではすべての生物がほんとうにど真剣に「今」を生きています。私たちも、一日一日を蔑(ないがし)ろにすることなく、ど真剣に生きていかなければなりません。

 自分というものを大事にし、一日一日、一瞬一瞬をど真剣に生きていくことによって、人生はガラッと変わってくるのです。(要約)

 2006年発刊の『NHK 知るを楽しむ 人生の歩き方』(日本放送出版協会)の中で、「『ど真剣』こそ我が信条」として、名誉会長は次のように述べられています。

 在家の僧となった私にとっての「仏の道」とは、社会に身を置きながら、「人生の真の目的は、慈悲に満ちた優しく美しい心を育て、ささやかでもいいから世のため人のために尽くし、自分の魂を磨いていくことにある」と説き続けることなのかもしれません。

 魂を磨くうえで大切なのは、日々懸命に働くこと。日々精魂込めて働くことが魂を磨くための修行となります。
 「毎日を『ど真剣』に生きなくてはならない」
 これが私自身の信条です。
 一度きりの人生を、真摯な姿勢で「ど」がつくほど真剣に生き抜いていく。そのたゆまぬ継続が人生を好転させ、人格を育み、生まれ持った魂をより美しく磨きあげていくのです。


 私はそう信じて今まで生きてきました。また今後も、自分の魂が美しい魂として旅立っていけるよう、さらに研鑚を重ねていきたいと思っています。(要約)

 今日の一言の最後は、「まさに雑念も余念もなく、ただひたすら『今』を生き切ろうとしているのです」という言葉です。

 「雑念」とは、「物事に取りかかるとき、違うことをいくつも頭の中で考えてしまうこと、気を散らすさまざまな思いのこと」であり、「余念」とは、「余計なことを考えてしまい、やり終えなければならない事柄がおろそかになること」といった意味です。

 『今』この一瞬一瞬に集中することで「雑念」「余念」を払拭し、『今』を生き切る。簡単にできることではありませんが、毎日「そうしたい」と心がけをリセットしながら、日々精進していきたいものです。


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