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『稲盛和夫一日一言』 7月9日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7月9日(火)は、「尺取り虫」です。

ポイント:人生の歩みの中には、楽をしてひとっ飛びできるようなジェット機などない。一歩一歩を尺取り虫のように進んでいく。それが偉大なことにチャレンジするときの姿勢。

 2007年10月に行われたある企業グループでの講演の中で、地味な努力を積み重ねることの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 大きな夢や願望を持つことは大切なことです。しかし、大きな目標を掲げても、日々の仕事の中では、一見地味で単純と思われるようなことをしていかなかればならないものです。
 したがって、ときに「自分の夢と現実の間には大きな隔たりがある」と感じて思い悩むこともあるはずです。

 しかし、どのような分野であっても、素晴らしい成果を出すまでには、改良改善の取り組み、基礎的な実験やデータの収集、足を使った受注活動など、地味な一歩一歩の努力の繰り返しが必要不可欠なのです。

 それは人生においても同様です。人生においては、簡単に目的地にたどり着けるジェット機のような乗り物はなく、尺取り虫のように、地味な歩みを営々と、気の遠くなるような時間をかけて続けていくしかありません。

 ただ私たちは、どうしても自分の描く目標と現実との間に大きな隔たりを感じ、「地味な仕事を毎日コツコツとやっているようでは、どうにもならないのではないか。こんなことで本当に自分の夢を実現できるのだろうか」と疑問に思ったり、焦ったりしてしまうものです。
 実際、私自身もそのことで思い悩んだ日々がありました。会社をもっと立派にしたい、でも今やっていることは、目の前に横たわる問題を一つひとつ片づけていくという非常に地味な仕事の繰り返しでしかない。来る日も来る日もこんなことばかりやっていては、会社を大きくなどできるわけがないと、思い悩んだのです。

 しかし企業経営とは、経営者一人だけで行うものではなく、従業員と協力して行っていくものなのです。人間一人でやれる仕事というのはたかが知れていますが、同じ志を持った大勢が一致団結し、地道な努力を続けていくことで、やがては偉大なことを成し遂げることができるということに、私は気がつきました。

 ですから、私は部下が自分と同じ思いになってくれるよう、事あるごとに彼らに語りかけ、同じ思いを共有する、いわばベクトルの揃った集団をつくり上げることで、全員の力を結集して日々仕事にあたるように心がけてきました。

 そうした地味な努力を払う集団をつくり上げたことが、今日の京セラをもたらしたのだと思っています。(要約)

 2012年発刊の『京セラものづくりの心得を語る』(伊藤謙介著 京セラ経営研究部編/非売品)「充実した一日を生きる」の項で、伊藤元京セラ会長は次のように説かれています。

 京都の比叡山(ひえいざん)には、千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)と呼ばれる、7年かけて険しい山中を歩き回る大変な荒行があります。

 まずは、一日に数十キロも山中を歩き続ける、計七百日の回峰を五年がかりで行います。それを終えた時点で、今度はお堂にこもり、不眠不臥(ふみんふが)で断食、断水をする、お堂入りという行が行われます。その行が終わってお堂から出てきたときは、行者(ぎょうじゃ)から死臭がただよっていることもあるそうです。

 そこからさらに二年の回峰を続け、計千日で満行となるわけですが、途中で行を続けられなくなれば、身に携えている短刀で自害しなければならないという決まりのある、大変厳しい修行です。

 その荒行を生涯で二度達成された酒井雄哉(さかいゆうさい)という行者さんがおられます。その方は結婚して二か月目に奥さんが自殺され、その後相当荒れた生活を続けた末に得度して比叡山延暦寺(えんりゃくじ)に入られ、天台宗の大阿闍梨(だいあじゃり)にまでなられた方です。

 その方が、一日の回峰を始めるにあたって、毎朝お堂にお参りするときが「生」、回峰を終えて再びお堂に戻ってきたときが「死」である、という非常に哲学的なお話をされているのを聞いて、私は大変深い感銘を受けました。

 それは、まさに生死をかけた千日回峰行を通して、朝目覚めてから歩き始め、何とか歩き通して戻ってきて夜は死んだように眠る、そのような一日を過ごすことが人生そのものなのではないか、と感じられるようになった。
 つまり、毎日が生と死そのものであり、だからこそ一日一日を充実した気持ちで精いっぱい生きるしかない、ということを悟られたわけです。

 私たちはとてもそのような厳しい修行をすることはできませんが、せめて毎朝出社して、精いっぱい仕事をしてその日一日を充実させる、そういった生き方をすべきではないか。つまり、ぼーっとした毎日を過ごしていてはいけないと思ったのです。

 今日一日、今この一瞬を充実したものにするために、一生懸命に生きる。心はそうすることによって磨かれていきます。私たちは、そのような生き様を続けていくべきなのではないでしょうか。(要約)

 私はこの話を聞いたとき、心の底に何かがぐさっと刺さったような感覚に襲われました。
 幸か不幸か、いまだ生死の境をさまようといった体験はしていないのですが、「死ぬ」ことを強く意識することで「生きている」ことをより強烈に実感できるのだ、と納得できたからではないかと思っています。
 
 「人生=修行」
 その日一日を充実させる、そうした生き方をしていきたいものです。


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