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『稲盛和夫一日一言』 10月15日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 10月15日(日)は、「信賞必罰」です。

ポイント:経営は信賞必罰(しんしょうひつばつ)でなければならない。しかし、厳しい姿勢の陰に経営者の温かい思いやりが垣間見えれば、従業員もついてきてくれるはず。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、「小さな不正が会社全体のモラル低下を招く」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 会社というのは人間の集合体ですから、人の悪口を言うのはあまりいいことではないと分かっていても、自分の正当性を主張するために、また自分がいい恰好をしたいがために、仲間の悪口を言って足を引っ張ろうとする人間もいるわけです。
 ときには、不正も何もしていないのに、根も葉もない噂をばらまいて人を陥れようとするとんでもない人間もいます。世間には善良な人ばかりというわけではなく、なかにはそのような悪質な人間もいるかもしれません。

 また我々の社会には、「人のことを悪く言うと、アイツは性格が悪い、と自分の人格が疑われては大変だ」と考えてしまうような雰囲気があります。そのため、社内で不正に気づいても、なかなかそれを指摘できません。
 そうやって誰も言い出せないのをいいことに、社内のあちこちで不正がはびこるようになる。一つの不正が許されれば、それを見た人間が、「あれでもいいのか」と思って真似をする。そうして、会社全体のモラルは急激に悪化していきます。

 そうならないためには、誰でも不正を指摘できる雰囲気を社内につくること、そしてその内容が単なる誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)にとどまることなく、建設的な観点を持った指摘であれば、誰からの発言であったとしてもそれを尊重し、上司やトップが聞く耳を持つようにすること。
 そのような点に注意しながら、ぜひフェアプレイ精神に則った仕事をしていっていただきたいと思っています。
(要約)

 「信賞必罰」という言葉には、一般的に「功績をあげた者には相応の褒美(ほうび)を与え、失敗したり罪を犯した者には相応の罰を課すこと。賞罰を、その行為に見合って厳格に行うこと。」といった意味があります。

 そして「罰 」という言葉には、 「法令 や特定集団における決まり事、 道徳 などに違反したものに対する公もしくは集団が行う、多くは当人に不利益または不快になること」といった意味があり、もっと簡単には、「制裁」「仕置 」「懲罰 」「処罰 」といった言葉と同義に使われます。

 しかし、2010年発刊の京セラ創立50周年社史『果てしない未来への挑戦 ー京セラグループ50年の歩みー 』の中で、「京セラには罰するという思想はない」として、名誉会長は次のように述べられています。

 正しくないことは一切してはなりません。もし業績が達成できなければ、できなかったことを正直に言えばいいのであって、一生懸命やった人を罰するということは京セラではありません。京セラフィロソフィでも、一生懸命やった人を賞賛こそすれ、罰することはありません。
 もちろん一生懸命やっても、業績が上がらない人に待遇をよくしてあげるということはないかもしれません。しかし、罰するという思想は、京セラにはありません。


 一生懸命やったら、それなりに賞賛するというのが我々のフィロソフィの根幹です。だから、一生懸命やったうえでできなかったら、これは仕方ないことです。しかし、一生懸命もしないで、いい加減な仕事をして達成できなかった場合、これは厳しく叱責されて当たり前なのです。
 ぜひ、我々は自分自身を戒め、哲学を学びながら、素晴らしい経営をしていきたいものだと思っています。
(要約)

 一生懸命やるとは、「誰にも負けない努力」をしたかどうか、ということです。
 不正をすることは論外ですが、冷静に振り返ってみて、自分なりの努力しかできていないのであれば、成果が出ないことに対して厳しく叱責されたとしても、それは甘んじて受けるべきものです。そうした潔さは、必ず次の大きな飛躍へのベースとなっていきます。


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