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仕事と底なし沼とブロック

以前の記事では、自己啓発本を読むときの読み手の姿勢として、自分が気をつけていることを書いてみた。

答えがただ1つ決まっている訳ではない問について、その答えが書いてありそうな書籍を読む際には、主張が正しそうかどうかを判断する必要がある。

一方で、答えがただ1つ決まっていない問については、答え=主張の確かさが怪しいという前提に立つと、正しい答えをだそうと頑張るほどに問に対する答えも出せなくなってしまう可能性がある

仕事でいえば、
プロジェクトマネジメントのやマーケティング戦略、人事戦略などなど。
そういった仕事に、今のところ絶対的な答えはない。
どれも暫定的な答えを出しながら進めていく必要のある仕事ではあるが、怪しさを含んでいる答えと分かっていたら、なぜ不確かな答えを持って仕事を推し進めようと思うのだろうか

正しくない答えによる行動の結果、無駄な予算や時間を消費し、信頼までも失ってしまう。そんなこと、誰もしたくない。
仮に答えが出せたとしても、その答えを疑って一向に前に進めないこともあるだろう。

僕は、絶対的な解がないことにも、暫定的に答えを出して、それを一旦信じて進んでみることが重要だと思っている

考えなしにぽんと出した答えは良くないと思うが、自分が今できる情報収集と考慮を重ねて出した答えであるなら、一旦それを疑うことをやめて、実際にその答えから導き出せる行動に身を委ねてみたらいいと思う。

先に挙げたような仕事で、率先して答えを出して組織を動かしているような人たちは、暫定的な答えを持って、正に自分の答えの怪しさと戦いながら生きているように思える。

仕事で言えば、仮説を立てて、それをもとに検証する。
うまく行かなかったら再度その結果をもとに仮説を再構築する。
といったようなものだ。

広い視点で見れば、
なぜ磁石がくっつくのか、なぜりんごを手から離すと地面に落ちるのか。
これらのような問の答えですら、科学と呼ばれる以前は十二分に怪しさを含んでいたに違いない。だが、それを検証し続け、間違いなく誰もがその正しさを認識できるようになって、初めてただ1つの答えがある問となったと思う

解のない問に対して仮に答え(仮説)を決めておくことは、
自分の経験や知識のブロックを積んでいける基礎を作り上げるイメージに近いと思っている。

自分なりの答えを出せていない状態は、
基礎がなく底なし沼の状態に似ているかと思う。
ブロックを積んだとしても、沈んでゆくだけで積み上がらない。

一方で、その答えの確かさを追求することも忘れては行けないと思う。
解のない問に対して自分で出したひとつのアンサーが、唯一正しいとも限らないのに、それを万人に正しいと主張するのは、基礎だけ作ったのに、何も積み上げていないことと同じだと感じる。そのうえ、その答えを理解できないひとを罵ったりする場合には気を付ける必要があると思う。

職場の上司や友人のひとりに、このような様子が当てはまる方はいないだろうか。きっと、どこかの才に秀でていても、人として魅力ある人間には見えないはずだ。(少なくとも僕には)


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