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正しい生き方と余暇_part1

社会人生活4年目に差し掛かった2022年の春。
新卒から働いてきた会社を退職し、次の環境へ移る決断をした。

その理由やら仕事観については別の記事に譲るとして、
約2か月くらいと、次の会社で勤めるまでの長めの休暇を手に入れた。

現在はその2か月も終盤となり、残すところ2週間。
この1か月余り、僕は何をしてきただろうか。

気張って働き詰めてきたこの1年で、
僕は「生きること」や「幸せ」について考え続けてきた。

仕事によって時間的・精神的な自由を奪われる一方、
社会的・経済的には飛躍的に自由度が増したように感じていた。

昇進や給与に関して不自由がなく、
年齢に対してそれらの水準が比較的高いため、
経済における将来を含む安心感や社会的な安全性が保たれ、
その部分に関しては1つの幸せを獲得しているように思えた。

一方で、いわゆる1つの社会的成功を手にしようとしているにも関わらず、
幸せに生きている実感を得られていない自分を、どうしても無視することはできなかった。

この葛藤を経て、前回記事にしたように「自分と対話すること」が上手になり、自分なりにどのようなことが幸せに感じるのか、整理してnoteやノートにまとめてたのだけれども、今自分が起こす行動は果たして自分の幸せを獲得するためのものなのかが正しく理解できていないと感じていた。だからこの2か月を、自分の行動の正しさを測る尺度を考える時間に費やした。

自分の行動が、しっかりと自分の幸せを実現するための方向へ向いているか。その評価を可能にしようという試みだ。

僕には、僕にとっての正しい生き方があると思う。
それは幸せと幸せを実現するための状態を成立させるために日々生きる、行動するということだと思う。

自分にとっての幸せってなに?
幸せを感じる状態ってなに?
それが分かってなければ、今すべき正しい行動も分からず、
結果として楽しく生活できていても幸せには近づかない。
山道で、目の前に見えている美しい花々に沿って歩いても、目的地にはたどり着かないのと似ているだろう。

こんなことを言っていると、
「目の前の物事に必死になって取り組んでいって、気づくと積み上げたものがあなたの幸せになっているもんだよ」とか、「点と点はつながった後にしか分からない」とか、色々アドバイスをいただくことはある。
しかし、それは運よく、目的地や進むべき方向を考えずとも、向かうべき方向に進んでいる場合だろうと思う。現に、老衰し力なく横たわったベットの上で、こうすべきだったああすべきだったと過去を後悔する人が多く存在することは否めないのではないだろうか。

僕は、絶対に幸せに死にたいのだ。
絶対に後悔する道を進みたくないのだ。

社会のステレオタイプでも偉人/著名人の価値観でもなく、
本当に自分が本性で思う価値観で生きていきたいのだ。
幸せに生きていたいのだ。

通常、仕事の間に2か月も時間があったりすれば、旅行なりなんなりするのが「一般的」であるように思えるが、僕は特別なことをせずに、できる限り自分の興味や欲求に忠実に生活してみた。
結果、概念的な本を読み漁ったり住んでいる近くを散歩することに費やしたのであるが、やはり自分の興味は、価値観を整理して人生の進み方を模索する方へ向いた。

もちろん、旅行などに行きたくないわけではなく、むしろしたかったが、自分の価値観を整理して、自分として正しい生き方を見つけたいという欲求が勝ったような感覚だった。

自分にとっての幸せってなに?
幸せを感じる状態ってなに?
この2か月であれこれ考えてみた結果、
暫定的な結論というか、行動指針が見えた気がするので記しておくことにする。

続く。

>>part2

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