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単体ではただの情報、だけどその向こう側には、、、という話(6/1(土)配信での気付き)

ものの道理ってあるよねってことを
中心のテーマにして配信するつもりだったんだけど、
いざLIVEを始めたら、思わぬ角度で
自分の課題が浮き彫りになったので、
私の頭の中を出しておきたいなっと、、、

何に気付かされたかって、
自分の感覚がまだまだ狭い
ってことです。

きっかけは、リスナーさんのコメントの
「『付き合ってます、と言いつつ、
実際には会ったことなくて、遠距離です』
みたいな恋愛、結構ありますね、最近!
SNSでの出会いが多くなってきてるから」

って一言で、今までは
そゆことあるよね〜、くらいの認識で、
身近にこういう人がいないことと、
自分自身が経験してない世界なので、
圧倒的少数派の世界だと考えてたんだけど、
意外と多くて、感覚的に半々くらいの印象に
書き換えられました。
(※実際に統計を取ってないので真偽はわからんです)

私自身、元々多様性肯定派なので、
出会い方にはその時代の合理的な方法が
あってもいいって思ってますが、
ズレを感じるのは、出会いの入り口ではなくて、
「付き合う」っていう関係性の捉え方

私視点では、「付き合う」って
「この人と、"無防備な本心"で
どこまで向き合えるか」って試し合う感覚だけど、
ほとんどは"感情のコミュニケーション"って
感覚なんだろうなって、、、

感情のコミュニケーションって
とういうことかというと、
"あれが好き、これが嫌い"
"こんなあなたが好き、嫌い"
"共通点がこんなにあって嬉しい"
で表現されるような感覚を、
お互いに受け取り合っている
ようなコミュニケーションの取り方、
って言えばいいのかな、、、

この感情のコミュニケーションで、
肯定的に受け取り会っていれば、
実際に会っていない段階でも、
恋愛的好き嫌いの感覚が生まれても
不思議ではないなって、
一定の納得感はありますね

そして、お互いが、集中的な交流を
続けたいって考えているならば、
"付き合う"という関係性が、
2人の間で成立する、と、
こんな構図なのかもしれない、、、

ここからの私の学びとしては、
事象の原点には必ず、
「元になった"意思"のようなもの」が
存在しているという真理を
改めて意識して、実感して、
定着させること」だろうと。

ちょっと言い回しが難しいので、
どういうことか、わかりやすい例として、
今見ているネットの情報の向こう側には
必ず"人”がいる、ということ

もう少し詳しくいうならば、
今、見ているネット情報には、
その情報を発信しようと思った
"人"がいるはずで、その人は、
なんらかの意図やきっかけで、
「多くの人に共有しよう」等の
"意思"を持って行動した、
言語化して文字に起こして、
他人に伝わる情報に形を整えた、

その結果、
ネット情報という形で、
今ここにある
ということ

その観点で言えば、
SNSのコメント欄に書かれている文言も
ネットに限らず、各種芸術のように、
何かが伝わる表現で形を成しているもの
全版が同じことだと言えるでしょう

そこに"形"があるということは、
誰か(何か)がいて、
その誰か(何か)の
"意思"のようなものがあって初めて、
そこに形成されている

このことを意識して情報に触れるなら、
一つの情報に関して、もっと深める思考を
持てるのではないかと、、、

この観点で、「実際に会ったことがないのに
ネット上で"彼氏彼女"と言っているカップル」は
日々のやり取りをしているのかもしれない、
と、目から鱗の気づきをもらえた次第です。

P.S
そんな中でも、
"本心"と"感情"の違いは
きっちり押さえていた方が
良いとは思ってます

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