【アート】モネやルノワールが新印象主義を否定した本当の理由
印象派の画家たち、中でもモネとルノワールは、スーラをはじめとする新印象主義を受け入れませんでした。
印象派の良心ピサロは、第8回印象派展(最後の印象派展)にスーラたちの描く点描画の絵を出品しようと前向きでした。しかし、モネやルノワールは、新印象主義の画家の絵は「自分たち印象主義の絵画とは根本的に違う」と否定的だったのです。
新印象主義に対する批判内容は、おおむね下記のとおりです。
我々印象派は、印象、雰囲気、空気感、そのものの持つ「感じ」を捉えて描くのに対し、スーラたちは理論詰めじゃないか!
絵は理屈じゃないんだ!
絵に動きがない!
何度も習作を描いた挙句に本チャンを描くなんて、なんか違う!
たしかに、そうかもしれません。
印象派たちが言うように、スーラたちは間違いなく理詰めです。
だから、印象派展に出すのは違う、と主張する気持ちはわかります。
でも、そんなに怒らなきゃいけないことでしょうか?
モネとルノワールは憤って、新印象主義を受け入れたピサロのことさえも見放す勢いで、第8回印象派展に参加しませんでした。
人が怒るのって、どういうときでしょう。
ここからはあくまでも私の想像です。
実際に印象派と新印象主義のどちらが優れているかというこに関係なく、モネやルノワールは、良くも悪くも、新印象主義に衝撃を受けたのではないでしょうか。
ここには自分たちにはない新しさがある。
そしてその新しさが羨ましい。
これまで新しい風を吹かせてきた自分たちの画風がもはや過去のものとなり、新印象主義が次世代を席巻するのではないか。
そんな悔しさや恐怖心、嫉妬心などが、見えない潜在意識の根底にはあったのではないかと思うのです。
モネやルノワールたち印象派も、出始めの頃は散々人々から否定されてきたのですが、結局彼らも他者に対して同じ行動を取ってしまったということですね。
その点、すごいのがピサロです。
モネよりも10歳年上のピサロは、広い心と好奇心で新印象主義を受け入れ、さらにそれを自分の中に取り入れようとまでした人なのです。
新しいものを受け入れるというのは、変化を受け入れるということ。
変化を頑なに拒む姿勢というのは、すなわち老いることなのではないかと思うのです。
(年齢には関係なく)
生きるとは、変化を続けることだから。
とは言え、人間は変化を嫌う生き物だとも言われています。変化はストレスを伴うことがしばしばなので、当然といえば当然かもしれません。
だからこそ意識的に、ピサロのように生きていくようにしたいと思うのです。新しいものを、肯定的に受け入れ続ける姿勢を忘れずに。
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