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ショートショート 23 プロベースボールプレイヤー、来校

職業×場所×性格の縛りを設けて書いた作品です!

 拍手の音がかたまりから、ほどけてパラパラになっていく。そこから会場の期待が一身に壇上にいる人間に向けられる。
「普段の授業では聞くことのない、真の拍手、とでも言いましょうか。ともかくこの大学では未だかつて、創学当時からでも数えるほどしかないほどの会場が揺れる拍手でしたね」
 しかし話し始めたのは司会の男だった。大学の名物教授。年中シルクハットをかぶり、礼服姿でつけ髭までつけて、ザ・執事を演出している彼。彼自身もテレビや雑誌に出ることがあるので有名人の類ではあるが、それは会場の誰もが第一声を待つ彼に比べれば微々たるものでしかない。
「そんな拍手喝采に見舞われるのも仕方ありません。なんて言ったって本日のゲストは今をときめくあの超有名プロベースボールプレイヤーだからです」
 説明はいいから次へ行け! という野次が飛ぶ。それもそのはずだ。これからその姿を見せるのであれば、未だシークレットなゲストであればまだ別だが、当の本人はすでに壇上に立っている。その体躯をほんの少しも揺らすことのなく堂々と。
「いくら有名プロベースボーラーだからって、皆さんちょっと冷静さを失いすぎですよ」
 司会のシルクハット教授のベースボーラー部分の流暢な発音が、会場の一部の人間の反感を買ったらしく、ボールが彼の顔目がけて飛んでくる。
 あっしまった! サインしてもらう用のボールが! と投げた本人は嘆く。
 たを言い終わるのと同時にバシッという音が大教室に響いた。
 シルクハット教授はゆっくり目を開ける。彼の目からは大きな手が見えた。驚き一歩前に下がるが、彼はその手の主をさらに大きな拍手で察する。指笛も響いていた。
 プロベースボーラーが手でボールを受け止めていた。腕以外はぴくりとも動かさずに、である。
 彼はペンを舞台袖にいるスタッフ(大学生)から借りさらさらとサインを書いてから教卓の端に置いた。
「教授、あんた創学当時は、青っぱな垂らしたガキでしょうがよ」
「そ、そうでしたっけ」
「何を今更、あんた俺と同級生だからっていうだけで俺を呼んだくせに。あの頃を借りを返せー! でしたっけ」
 マイク越しに張り上げられた声で大教室がビリビリと振動する。
 あっすみません、と頭を下げる彼と、まったくと腕を組んでため息をつくシルクハット教授は旧知の中だった。それでこの大学の入学式スピーチに呼びだされた。本来であれば今日から飛行機でアメリカに行く予定だったのだが、シルクハット教授の頼みなら、と快諾した。
「えー皆様。まずは大学入学おめでとうございます。外では桜も咲き、小鳥のさえずりも聞こえ、まさに春日和の今日にこの場で皆さんと会えたこと、本当にうれしいです」
 そう笑顔で言い終わったかと思えば、彼はまた大きな音を立てた。教壇を勢いよく、叩いたのだ。
「ってこんな堅苦しいことはいいんだよ。俺はお前らに会えたのがうれしいわけがない。こいつの頼みじゃなきゃ、俺は今頃アメリカで金髪のねーちゃんにキスされながらサインしてたところだったんだ。それをこんな式に呼ばれてつまんない話をするのは、俺もお前らも退屈だろ」
 よしと言って先ほどのボールを手に取った彼はマイクも持たずにステージの端っこ、客席に近づく。
 多くの女子生徒が自らの席を忘れたかのように前に押しかける。大教室に並べられたパイプ椅子が音を立てて倒れる。最初の拍手より大きく、プロベースボーラーの叫び声より小さな音だった。
 彼の出した大声は、堅苦しい式の雰囲気を和らげるためのものであると誰もが認識していた。いわば台本で仕組まれたことなのだと。
 しかし実際はそうではなかった。これは台本にはない。むしろ台本は春日和云々の方で、それは教壇の下で、プロベースボーラーの手によってぐしゃぐしゃになって捨てられている。が、誰もそれには気づかない。
「キャッチボールしようや」
 プロベースボーラーはそう言って先ほどボールをシルクハット教授に投げた生徒を壇上に招く。はじめはいや、その、などと言っていた彼だったがそれはただのフリで、レクリエーションのメンバーに選ばれたことを光栄に思っていた。彼は壇上に上がり、自前のグローブをはめ、何回か手で叩いて、キャッチャーの構えを取った。
 プロベースボーラーは「そのグラブはキャッチャーミットじゃないから危ないよ」と言い、続けて聞こえない声で「まぁどっちにしても意味ないからいいか」と呟く。
 プロベースボーラーは思い切り振りかぶってサインボールを投げる。それは周囲の空気を一瞬無くすくらいに巻き込んで、綺麗に男の投げたミットに吸い込まれていった。
 しかし威力はそこで止まらなかった。彼はミットを構えたままの姿勢で、壇上の端、ステージ横の楽屋に向かう廊下の壁に打ち付けられた。全身の骨が音を立てて崩れた。その音は大教室の前の席にいる人、つまりはほとんどの女子生徒と手伝いの学生スタッフ、そしてもちろんシルクハット教授にも聞こえた。
 つまるところ全身複雑骨折による即死である。
 勇気ある数人の若者が彼をはがいじめしようと壇上に上がった。しかし、彼らが咆哮や説教をあげる前に彼はステージ後方にあった飾りのバッドで次々と薙ぎ倒した。
 そこでようやく我に帰ったシルクハット教授。だが、彼は「いやぁ私のために体を張ってくれてありがとう」と彼にごまをするポーズで近づきながら言う。
 ぶぉんっ!
 シルクハット教授のシルクハットが宙を舞う。
「お前は最後に殺してやるから待ってろ」
 彼は震えでつけ髭が外れただの教授になりはてた。
 即死した男子生徒の友人、壇上で薙ぎ倒され顔が潰れた男子生徒の恋人が大教室を出ようとしている。しかしドアは開かない。まるで針金のようにあらぬ方向に捻じ曲げられ、開かないようにされていた。これは彼が投げたボールのなせた技だ。跳弾したボールに当たった女子生徒は顔半分が潰れ、天国で彼氏と再会を始めた。
 悲鳴と怒号。そのどちらにも入り混じった恐怖が大教室を埋め尽くす。教授は失禁し、教授の威厳をも失い、ただの男に成り果てた。
「私は学生時代、いじめられていた」彼の言葉で大教室がしん、となる。彼はまるでこれから入学式のスピーチをするかのように、教壇の前に立ち、マイクを手に取っていた。
「もともといじめられていたのはこいつの方だった」とマイクを持っていない方の手でただの男(exシルクハット教授)を指す。しかし驚くほどの静寂の中の反響に苛立った彼は、そのマイクを両手でリンゴを潰すように粉砕し、ガラクタと化したそれをただの男(exシルクハット教授)のすぐそばに叩きつける。床には漫画でしか見たことのない円形の、ところどころひび割れた窪みが出来上がる。
 彼はマイクなしで声を張り上げて話した。一席開けて座っても百人は入るであろう大教室だったが、どこにいるものにもしっかりと届いた。いや、届いたどころか端っこにいるものですら耳がキン、となった。近くにいるものは嘔吐しながら倒れた。彼はバットで倒れた者たちの顔を粉砕しながら話を続ける。
「俺は助けたんだ。コイツを。もちろんそのせいで俺はいじめられるようになったが、コイツが友達になってくれたおかげで、つらくはなかった」
 だが、だ。
 彼はより一層強く、制服のない大学生だから男女の区別がつかない人型のそれをバットで叩く。投げて打たれたそれは壇上にいるただの男(exシルクハット教授)の横をカーリングの球の10倍のスピードで通り過ぎる。
「コイツは裏切った。コイツはいじめっ子の味方をして、一緒になって俺をいじめ始めた。俺は許せなかった。いつかぶっ殺してやる、その一心でプロのベースボールプレイヤーにまでなった。幸せだった。正直いじめられたことを忘れていた瞬間もあった」
 だが、だ。
 三人の生徒をお手玉のように投げ、打つ。それは逃げようとしていたただの男(exシルクハット教授)の逃げ場を全てふさいだ。前方だけは空いていたが、その方向にはプロベースボーラーが仁王立ちしている。彼はひと蹴りで壇上まで戻り彼の前に陣取る。
「待ってくれ! あれにはワケが!」
「聞かぬわっ!!!」
 ただの男(exシルクハット教授)はただの肉片(exシルクハット教授)と化した。
「ほら、拍手」
 恐怖からされる拍手は人数が減ったにも関わらず、今日一番の大きな音だった。

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