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ショートショート19 アイアムマウンテンゴリラ


僕はマウンテンゴリラかもしれない。


 動物園が昔から嫌いだった。ペンギンやアザラシを見て、カワイイと甲高い声ではしゃぎ、檻の前で写真を撮る女子をなんとなしに眺めていたら、隣に座っていた女性?(女子かもしれないけど、少なくとも僕と同じ学校の人じゃないと思う)が立ち上がって遠いところのベンチに座りなおした。それを一瞥してから、また檻の前の女子に向き直る。と、一瞬だが目が合った。彼女らは何やら小さい声でこそこそ言って、僕から見えないところに歩いていく。

 女子がいたところに僕も行ってみた。そこにはペンギンがいた。一瞬、ほんの一瞬、自分もかわいいと思ったが、すぐにさみしい気持ちになる。

 ペンギンがいる水槽の中には氷があるとはいえ、もちろん南極に比べたら大きくはない。もしかすると水の中は温度調整がなされているかもしれないが、氷の上でぼーっと立っているペンギンは日差しに当たって暑そうに見えた。

 打って変わって、水の中で泳ぐペンギンのスピードは速い。後ろを通り過ぎていこうとしたであろう小学生の男の子が、はえーっ! と驚きながら、ペンギンコーナーの水槽のガラスに音をたててぶつかる。痛いだろうに、そんなことは気にも留めず、男の子は口を半開きにして、ペンギンを 眺めていた。

 僕からすれば、水中のペンギンもかわいそうだ。この水槽の中以外にどこにもいけないということを、スピードを出して紛らわしているような、でもそれはつまるところ、どこにもいけないということをこれでもかと再確認させられる行為でもあるのだろう。そう考えたら、胸が痛くなってきた。

 さっきいたベンチに戻ろうと、水槽から数歩離れたところで男の子と目が合った。男の子は、ぼくを見るなり、保護者であろう男性のもとに駆けてゆき、こちらを指さしながらなにやら言っている。男性は指を差した男の子の、指を差したという行為だけを注意した。こちらに小さく会釈をしたが、ぼくから離れていく所作はやはり素早い。ペンギンを見ているときよりもかなしくなった。

 昔からそうだ。人に怖がられる。人に避けられる。奇異の目を向けられる。こそこそ何かを言われているのを目にすることもある。なぜか、咳ばらいをしただけで謝られたこともあった。どうしてかが分からない。

 食べ物も趣味も人にも好き嫌いはないし、三人いる兄弟の面倒はちゃんとみている。働かない親父に代わって、朝と夕方の新聞配達だってし、家事もやれるときはやっている。それなのに、家族以外の人はみんな僕を怖がる。服装がダメなのかもしれないと思って、ユニクロで飾られているマネキンの服を真似し、コミュニケーションに難があるかもしれないと思って、会話術や心理学だって勉強した。そこで学んだ技術を活かし、愛想も良くし、話しやすい雰囲気を出すよう意識した。どんな趣味にも合わせられるように、流行のものにはなるべく触れている。

 それなのに話しかけられることがない。それどころか、勇気を出して話しかけても今まで以上に怖がられるという結果に終わった。

 と、このようにいろいろ手を尽くしてみたけれど、結局嫌われる理由は分からずじまい。

 だから動物園は嫌いだ、と思うことにした。人を嫌わないようにしたって嫌われてしまうなら、これくらい思ったってバチは当たらないだろう。これで当たるものなら神様すら嫌ってしまいそうだ。

 実際に嫌ってみて、本当に苦手であったことに気がついた。人間の私利私欲のために動物を捕まえて展示しているということにも多少なりとも抵抗はあったけれど、嫌だな、苦手だな、と思うほとんどの理由はみんな楽しそうにしているのに、自分だけ楽しめないでいるこの状況に対してだった。実は檻の中に入っている動物たちに見られているんじゃないかって気分にすらなる。

 どうして母ちゃんは、俺に動物園に行けって言ったんだ。

 修学旅行とか林間学校とか、どこか家を空けるイベントやお金がかかるイベントは参加しないようにしていた。兄弟の面倒を見ないといけないし、なによりお金がかかる。僕が行けば、下の子たちが行けなくなってしまう。それはかわいそうだ。今回も新入生の歓迎会として動物園にオリエンテーションで行くというプリントには不参加のほうに〇をして提出した。

 はずが、朝、先生から電話がかかってきて驚いた。ぼくは不登校にだけはなるわけにはいかなかったので、行くことにした。ぼくが机の上に置きっぱなしにしていたプリントを見て、かわいそうだと思って母ちゃんが書き直したのだろう。オリエンテーションとがいえれっきとした授業でもあったので、皆勤賞を狙うものとしては行かざるを得ない。皆勤賞を取れば、数万円が市から支給される。それに一度学校に行かなかったら最後、ずっと引きこもりそうな気がした。引きこもりになんてした日には、ただでさえ親父のせいでウワサになっているのに、火に薪をくべることになる。そうすると最悪、下の子と母ちゃんが往来を歩けなくなってしまいかねない。それだけは避けたかった。

 ぼくは気づいたら、園の隅にある爬虫類コーナーに来ていた。気持ちが暗くなっていて、引き寄せられたのかもしれない。爬虫類コーナーは薄暗く、暗室みたいになっていた。壁にはショーケースみたいなものが埋め込まれていて、そこと、近くのキャプション文なんかだけに光が当てられている。ふっと暗闇の中にケースが浮かんでいるように見えた。中には土やら木やらが敷き詰められ、その上に蛇やらトカゲやらがいた。立っているのか座っているのか分からないし、ほとんど動かないでじっとしているので、一瞬フィギュアかと思ってしまうほどだ。中には土に潜ったり木の影に隠れたりしていて、その姿が見えないやつもいて、仕方ないので展示されている写真でも見ようかとキャプションに目をやる。そこに写真はなく、フラッシュ撮影禁止という文字が、紹介文より大きく描かれているのが目に入った。

 パシャリと音がした。音のした方に目をやると、どこからか警備員みたいな人がやってきて、カメラを持っていた人を注意している。カメラマンはばつがわるそうな顔をして爬虫類コーナーからそそくさと出て行った。

 ぼくは悲しくなった。ルールを守らない人に対してじゃない。こんな小さな蛇やトカゲにも、ルールを作って守ろうとしてくれる人がいて、破ってでも見たいと思ってくれる人がいるんだ。ぼくにはそんな人はいない。母ちゃんや弟と妹は確かにぼくのことを嫌ったりしないけど、それとは違う、普通に友達とか恋人とか、家族以外に大事と思えるような大事だと思ってもらえるような人が、大事だと思ってもらっているという実感が欲しかった。

 カメラマンとは逆方向、少し奥に進むととあるケースが目についた。正しくは水槽の前にかけられた遮光カーテンだ。遮光カーテンだと分かったのは、その横に、このケース内の蛇は夜行性のためねむっています。光に弱いのでフラッシュ撮影はお控えくださいと書かれてあったからだ。先ほどのものよりひときわ目立つように書かれていた。

 後ろをカップルが通り過ぎていく。少し早足に感じたのは、自分を怖がってかと思ったら、単純にカップルの女の子の方が暗いところが怖いからというのが、甘えた声同士の会話でわかって、自分が嫌になる。
 爬虫類コーナーから外に出ると、まぶしくて思わず目を閉じてしまう。キャーとかわーとか、かわいーとか、すげーとか、かっこいいとか、目が見えない間、そんな声が聞こえた。その声から逃げるように、背を向ける。
 光に慣れたのと同時に、目が合ったのは、まごうことなきマウンテンゴリラだった。

 僕はマウンテンゴリラかもしれない。


 マウンテンゴリラの檻の前には、ライオンとかトラとか、ゾウとか、キリンとかのコーナーと比べて異様に人が少なかった。それを見て、どこか親近感が湧いたのかもしれない。そう思うと、合った目をしばらく外すことができなかった。

 オリに近づく。マウンテンゴリラも気づいてか、近寄ってくる。
 腰のあたりに、柵が当たる。見ると檻の手前には柵があって、動物に触れる範囲には近づけないようになっている。
 ぼくはそれを乗り越え、マウンテンゴリラの檻に手をつく。すると思いもせずマウンテンゴリラと正対することになった。

 声がして周りを見ると、人が集まってきていた。奥に園の人なのか、清掃員みたいな人が近づいてきていたが、人の壁に当てられて、先に進めないでいるようだった。

 檻を何度か揺らしてみる。もちろんびくともしない。と思えば、マウンテンゴリラが目と鼻の先までやってきて、柵をひん曲げて、入り口を作ってくれた。

 中に入ると、めちゃくちゃくさい。でも、なぜか落ち着いた。なんでかを考えるのがすぐにバカらしく思えてきて、バカらしく思ったのもすぐに消えていく。
 とくになにも考えずマウンテンゴリラの前に座る。ぼくはただ近くに行きたかっただけで入るつもりはなかったし、話したいことがあるわけでもない。

 マウンテンゴリラがぼくの首を掴んだ。
 殺されるのかと思って身構えたのもつかの間、ぼくはマウンテンゴリラのお腹に何度か軽く頭をぶつけただけだった。痛くはなく、むしろ頭に当たるふさふさのゴリラの胸毛の感覚が気持ち良い。
 別のマウンテンゴリラが奥の方からこちらにやってきて、小躍りをし始めたので、ぼくもなんとなくまねていたら、またマウンテンゴリラのお腹に軽く頭をぶつけられた。さきほどとは別のマウンテンゴリラだった。それはまるで、無理やりに謝らせられているときみたいな手つきだったけど、掴む手も、動かされているときも嫌な気はしない。

 檻の外を見ると、そこには壁ができていてうねうね動いている。動いているのは、ぼくがマウンテンゴリラに頭を掴まれて、揺らされているからだけじゃない。壁も動いている。一瞬、ぼくの学校のセーラー服みたいなのも見えたけど、すぐ白い壁になった。壁は何色もあったけど、ほとんどが白と黒、青っぽいのもあったけど、黒と見分けがつかない。
 白より黒のほうが多かったので、白を探す。見つけたと思ったら、光になった。光は白い壁だけじゃなく、黒い壁も発していた。

 僕はマウンテンゴリラだ。

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