経験は生きている。

自分は特別でありたい。
特別な経験をしたい。
そう考えている時期があった。
もしかしたらまだ少し思っているかもしれない。
かと思えばビビリで失敗ばかりで人並み、いや人並み以下の経験ばかりだった。
どうやら特別ではないようだと気づいた頃には、たくさんの不安や憤りだけが残っていた。

そんな19歳の頃。
ベストセラー「嫌われる勇気」に出会う。
本から学ぶことを知らなかった俺は、鮮烈で嬉しかった。
こんなことが書かれていた。


——いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。
(中略)
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。


例えば、学生の頃おせっかいだった母親に対して、社会人になってからありがたみを感じる。
こんなことがたまに起こる。
「あんなおせっかいな人にはなりたくない」から「あんな優しい人になれたらな」に変わる瞬間だ。

どうやら僕らは過去の経験に対して「どのような意味を与えるか」"自ら選択"できるらしい。


もしトラウマや恐怖を抱えたまま歩んでいるのなら、それは自分の中にいつまでも亡霊を飼っているようなものだと思った。

当時の俺は、まさに過去の自分の怨念がまとわりついた心霊スポット。

アドラーの教えが真ならば、自分を縛り付ける経験を成仏させてやることができるだろう。
なぜなら今からでも過去の経験に意味を与えることが可能だからだ。

「たくさんの経験をしろ」とよく人は言うが、俺は、どんなことを経験したって負の感情が湧き上がってきた。
経験にどうやって意味をつけてあげるか知らなかった。

俺に必要だったのは、たくさんの経験をすることではなくて、自分の過去の経験について考え直すこと。
それは、長いお経を読んで成仏させるように。
焦らずゆっくりやる作業だ。
1度感じたことを新しく捉え直すことは難しい。
しかしながらこの本と出会って5年。
少しずつ事態は良くなってきていると思う。

その中で思ったことがある。

もしかすると特別な経験とは自分で作り上げていくものなのではないだろうか?
そして特別な経験や経験の密度を上げることは、実際にどんな突飛な経験をしたかではなく、ありふれた自分の体験にどうやって意味を与えてあげられるか、たくさんの学びを得られるか自分で考えてみることだと思う。

一般的にありふれた経験であっても、それらに今一度 真理を問いただすことで、唯一無二の経験に"なっていく"のではないだろうか。

再認識を繰り返すということだ。

ここでいう真理を問いただすとは、過去の経験に対して、別の角度から見て整理してみたり、当時の心の動きを注意深く探ったり、今の自分との因果を結んでみたりすることで当時の自分を昇華しようとする活動を指す。

このような活動は、過去の覚えている出来事であればいつでもアクセスできるはずだ。
逆に言えば、強烈に覚えていることこそ、今の自分に大きく影響していると言えるはずだ。

今、新しい知見を得たならそれを当てはめてみるとまた真理が変わってくるかもしれない。
俺が「嫌われる勇気」を読んで過去の意味を変えてしまったように。

だから、経験は"生きている"

過去の悲しかった出来事は考え方次第では今の自分を形成する大事な要素になるかもしれない。
嬉しかった記憶に対してもっと強烈に感動できるかもしれない。

それは、自分が絶えず変化して生きていくことと同じで、過去の経験も絶えず変化していく。

先ほど、自分のトラウマを成仏させるとは言ったけれど、トラウマさえいい仏に転生して過去から微笑んでくれるような気さえする。

俺は自分自身の経験と共に生きている。
新しい突飛な経験をする前に、まずは自分のしてきた過去の経験、過去の自分と対話してみれば、自分の形が少しわかるかもしれない。

そうすれば新しい経験に対しても僕らは
"いい意味"を与えてあげられるのではないだろうか。

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