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ふと思い出した話。

ふと思い出した話。

昔、まだ会社員だった頃、新人営業マンのアポに同行したことがあった。中途入社した若い男の子で、入社数日で何度もミスして色々な先輩に怒られている、そんな子。

ともあれ、僕の彼に対する印象は別に悪くなかった。いきなり完璧にできるはずもないし、失敗はするけどいつもニコニコして愛想もいい。まあ頑張ってほしいなと思いながらアポ先に向かった。

で、アポ自体は(ほとんど僕が話したけど)無事に終わり、その帰り道。

「先輩、なんか最近ハマってることとかあります?」

気を使ってくれたんだろう、向こうからそんな話を振ってくれた。で、当時自分は「家でできる7分筋トレ」みたいなものをやっていた。アプリで管理するやつ。

なので画面を見せながら言った。

「こういうアプリがあって、もう二週間くらい連続で頑張ってんだ。ほら見て」

カレンダーのアイコンをタップすると、ちゃんと7分筋トレをやった日にはマークが付いている。

「これ1ヶ月連続でやると、新しいミッションが解放されるのよ。だから何とか頑張りたいな〜って」

そしたらその子、きょとんとした顔で言った。

「え、でも先輩、別に誰かに見られてるわけじゃないんですよね?」

「ん? ああ、うん。トレーナーが付いてるとかそういう話じゃないよ。自分でやって自分で記録するの」

「で、先輩はその新しいミッションが欲しくて頑張ってるんですよね」

「そうだよ。1ヶ月続けるって結構大変だからさ。気合い入れないと」

彼はなぜか首を傾げるような反応を見せた。納得いかない、というか、理解できない、みたいな表情。

「ん、俺なんか変なこと言った?」

そう聞くと、彼はまったく躊躇なくこう言った。

「そんなの、やってなくてもやったことにしちゃえばいいじゃないですか。誰も見てないんだし」

……ああ、と思った。

なるほどこういう子か、と。


……

それから彼は数ヶ月頑張ったが、ある日いきなり会社に来なくなり、そして一度も顔を見せないまま、ひっそりと辞めていった。

あのアポ以来、僕は何度か彼に、「言いたいことはわかるけど、ちょっと考え方を変えないとこの先しんどいかもよ」みたいなことを言った。

ともあれ、別に部下でもないし、そもそもそんなに世話焼きなタイプでもない。彼は彼で「そうっすよねえ」なんてニコニコ聞いていたけど、多分何も刺さっていなかったんだろうな。

そして彼は辞めた。当時の印象は、「まあ、そうだわな」という感じ。どちらかと言えば、「あんな舐めた考えで仕事なんてできるもんか」という、怒りに似た感情を持った。

でも今思い返すと、ちょっと感じ方が違う。辛かっただろうな、と思う。彼を救えなかった自分を責める、みたいなことじゃない。

でも、ああ、彼はきっと辛かっただろうな、と思う。そしてその辛さは(僕を含めた)会社の人間には理解できなかった。

もう二度と会うことはないだろう。でも、彼がいまどこかで、幸せに暮らしていればいいなと思う。

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