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【岐阜地区】樹木のように、陽の当たる方へ

ろうきん森の学校だより、今回は岐阜地区の「NPO法人グリーンウッドワーク協会」の小野敦さんと椿由加理さんを訪ね、活動状況やこれまでの取り組み、そしてこれからの展望を伺いました。

 NPO法人グリーンウッドワーク協会(以下、GWW)は、主に生木を人力で加工して、スプーンや椅子といったモノづくり=グリーンウッドワークに取り組んでいる団体である。メインの拠点・フィールドは、岐阜県のほぼ真ん中の美濃市にある。和紙とうだつの町並みで知られるこの町の中心部に近い「古城山ふれあいの森」で、理事長の小野さんにフィールドを案内いただき、話を伺った。

古城山ふれあいの森 入口
ろうきん森の学校岐阜地区看板
管理棟


〇着々と整備が進むフィールド

 2015年度からスタートした「ろうきん森の学校第Ⅱ期」より、岐阜地区として参加しているGWW。フィールドの1つ、古城山ふれあいの森は、「美濃市古城山環境保全モデル林」として岐阜県が整備した後、美濃市が管理している里山である。GWWはこの里山の管理メンバーの一員として関わっている。当初は水洗トイレ付きの管理棟のみだけだったが、この7年間でウッドデッキ、倉庫、かまど、あずまや等を少しずつ、でも着実に整備してきた。

かまど
デッキと足踏みろくろ

 足元を見ると、木で囲まれた箱に枯れ葉がいっぱい入っている。これは一体何か小野さんに尋ねると、「ビートルベッドと言います。今、2つになっているのだけど、この中にカブトムシの幼虫がいっぱいいるんです。どうしようもないくらい増えてしまって(笑)。400-500匹位いるんじゃないかなぁ。こうやって上に板を付けておくと、イノシシに食べられないんです。」

カブトムシの幼虫
ビートルベッド

 さらに斜面を登っていくと、黒い寒冷紗(日よけのシート)の下に榾木(ほだぎ)が並べてあり、沢山のキノコが顔を覗かせている。

ヒラタケ

「うわー、これは大きなムキタケだ。こっちはマイタケ。マイタケは繊細で事前の殺菌が大変だけど、シイタケと違ってやりがいがありますね。『舞い上がる』というけど、てんてこ舞い。一気に出てくるから。こっちはヒラタケ。コシアブラの榾木から出てきています。菌が付いたおがくずを振りかけただけです。コシアブラはグリーンウッドワークでもよく使いますが、余ってしまうので有効活用できますね。」

 案内してくれる小野さんの目は、虫捕りやキノコ探しに夢中な少年のよう。一体どのような道をたどって、今に至ったのだろう。

 ウッドデッキで小野さんに話を伺った。 

〇自然好きな少年時代、そして建築学科からプラント建設現場へ

小野 敦(おの あつし)さん

 愛知県師勝町(現・北名古屋市)出身の小野さん。子どもの頃は虫捕りが大好きで、岐阜県にも度々連れて来てもらい、クワガタムシを捕っていたとか。

「小学6年生の時、ガンプラ(ガンダムのプラモデル)が流行って、行列に並んで買いました。自分でも新しいモビルスーツ(ロボット)をデザインしていましたね。中学生の時、アニメーション『風の谷のナウシカ』に出会いました。それまでのアニメと違って、生態系とか自然破壊とかがテーマになっていて、単なる虫好きから、自然全般に興味を持つきっかけになったかもしれないですね。」

 ところが小野さんは自然系ではなく、高等専門学校の建築学科に進学し、卒業後は大手製鉄会社のプラント建築を担当する部署に就職。時代はバブル絶頂期で、小野さん曰く「売り手市場でラッキーでした。」とのこと。

プラントの様子

 携わった建物は、工場建築が多く、大きなプラントが入る建屋では高さは30mほどあったという。入社当初の製鉄所研修では3交代を経験し、昼夜なく鉄を作り続ける現場に圧倒された。また、仕事でごみ処理場の建設現場にも携わったことがあった。2年ごとに転勤があり、静岡・三重などを転々とし、休日出勤は当たり前、仕事中心の生活が続いた。そんな中、3日間でも休みが取れると北海道に行き、自然とふれあい、癒されたという。特にテレビドラマ「北の国から」の世界には憧れたとか。

 猛烈サラリーマンを続けた17年目の2007年、38歳になった小野さんは昇進し、さらに、見事一級建築士試験に合格。ところがその翌年2008年、会社を辞めて岐阜県立森林文化アカデミー(以下、アカデミー)に入学した。なぜ、入学を決意したのだろうか。

岐阜県立森林文化アカデミー


〇人生の転機、アカデミーへの入学とGWWとの出会い

 当時を振り返って小野さんは語る。
「辞めたいという思いは、以前からありました。自然が好きだし、仕事に少し余裕ができてきて、自然に関わる仕事がしたいと思うようになりました。何か新しいことがしたいという気持ちもあったのかな。」

 「樹木医になりたかった」とも小野さんは打ち明けてくれた。建築をやってきて、造園的な知識もあったので、樹木医の資格が取れる学校を探したところ、アカデミーが当時のカリキュラムで「樹木医補」の資格が取れることが分かった。

 アカデミーのクリエーター科の「里山研究会(注:大学でいう研究室に当たる)」に入学し、植物や生態系、人との関わりについて深く学んだ小野さん。当時の先生から「樹木医という仕事はないよ」と言われ、里山を活かす技術をどのように仕事に結びつけるか、考えていたという。そこで出会ったのが、生木から人力でモノづくりをする「グリーンウッドワーク」だった。実は、現在小野さんが代表を務めるNPO法人グリーンウッドワーク協会(GWW)が設立されたのが2008年で、入学と共に会員になったとのこと。

 グリーンウッドワークをやりながらカフェをやりたい、と先生に相談したところ、木工の技術を一から学んだほうが良い、と言われて2年生から「ものづくり研究会」に移った。「グリーンウッドワークの技術を学びながら、環境教育の授業も受けられたのが大きいですね。人に伝える技術を学び、経験できたことは大きかった」と語る小野さん。

 アカデミーの教育は少人数制で、学生のニーズに応じてカスタマイズできることが大きかったようだ。木工の経験ゼロで、40歳から木工修行はちょっときついなと思ったが、必死で技術を習得した。

足踏みろくろで木を削る小野さん

 ところで、小野さんがイメージする「グリーンウッドワーク・カフェ」は、どこかにモデルがあったのだろうか。小野さんは活動スペースの一角に「カフェ」という場があればいいと思っている。「僕自身には、起業したという意識はないんですよ。既にあったGWWに乗っかってきた、という感じなので。必死でもがいた、ということではなかったんです。太陽の光が勝手に自分のところに降り注いできた感じです。」

将来、カフェスペースになるかもしれないという東屋

 小野さんは太陽の光が勝手に降り注いできた、と言ったが、実は陽の当たる方へ自ら出向いて行った、というのが正しいのではないだろうか。2010年3月にアカデミーを卒業した後、美濃市に定住し、GWWを続けることを決めた小野さん。
「都会でもなく田舎でもない、美濃は絶妙な場所なんです。」
何より、アカデミーに来ればいろいろ情報が入るし、美濃周辺にはアカデミーの卒業生等、仲間がたくさんいる。 

〇椿由加理さんが辿った道

 続いて訪れたのは、美濃市郊外にある廃校を改装した「みの木工工房FUKUBE」。2020年1月から、GWW職員として主に、ここの管理やGWWの広報、ネットショップを担当している椿由加理さん。彼女のこれまでの歩みはどのようなものだったのだろうか。

みの木工工房FUKUBE
椿 由加理(つばき ゆかり)さん

 「子どもの頃はロボットアニメが好きで、プロダクトデザイナーになりたかったんです。保育園の頃、友達が可愛い女の子の絵を描いている時に、真っ赤な名鉄電車の絵を描いていたんです(笑)。祖父が陶芸家・芸術家で、ユニークな人でした。両親が自営工場の仕事で忙しかったので、祖父と一緒に過ごすことが多かったですね。」

 モノづくりが身近にあった椿さん。誕生日プレゼントには工具セットをもらったこともあったという。その後、工業高校に進学し、グラフィックやデザインを学んだ後、デザイン系の専門学校に進んだ。中京地区ということで自動車のデザインを中心に学んだという。卒業後は刃物メーカーやスポーツメーカーのデザインに携わり、京都や大阪で生活した後、結婚。その後、高山市の飛騨の家具メーカーで販売担当となった。

 それまでの仕事では、新しいものを安く早くというモノづくりだったが、ここでは長く使えることを売りにしていた。その後印刷会社のデジタル部門(現在のWebデザイン部門)に転職。椿さんも当時は猛烈に働き、仕事を一旦終えてナイタースキーに出かけ、スキーウエアのまま戻って朝まで仕事をしたこともあったとか。

 長男が生まれるタイミングで出会った助産師が、森のお散歩会を行っており、その後の「森のようちえん」活動との出会いとなった。その後、長女が1才を迎えるころ、森のようちえんの親子散歩の会に参加、そこから8年間、森のようちえんに関わった。

森のようちえんで活動していた頃の椿さん

 2019年11月にアカデミーで「森のようちえん全国フォーラム」が開かれたのだが、この時、事務局を務めたのが小野さんだった。小野さんが取り組んでいた「一日一匙(毎日、生木からスプーンを削りだす挑戦)」に驚き、グリーンウッドワークに興味を持った。椿さんはアカデミーへの入学を考えて小野さんに相談したところ、「グリーンウッドワークがやりたければ、やればいいんじゃない」と言われて、2020年1月からGWWを手伝うことになった。

一日一匙で作り続けた、様々な材のスプーン

〇ろうきん森の学校岐阜地区と、グリーンウッドワーク協会のこれから

 それまでの人生から方向転換を図ったのはなぜか。何が背中を押したのか。何に導かれたのだろうか。二人からの話は続く。

 自身の仕事を「大量消費・大量廃棄社会の象徴だった」と語る小野さん。ごみ処理プラントは、あらゆるものをごみとして、高温で溶かしてしまう場所だった。仕事と割り切りながらも、胸が痛んだという。

 椿さんは、身体が無理と悲鳴を上げたこと、そして出産がきっかけとなったという。森のようちえんやフリースクールに関わるようになり、「本当に楽しそうに生きている大人の姿」を見せたいと思うようになった。自分で選択し、自分で責任を持つこと。椿さん自身、グリーンウッドワークで椅子を1脚つくるという体験を通して、心身ともに癒されたという。

 最近、染色の研究にも取り組んでいる椿さんは言う。
「染色で色が一気に生地に吸われて行く時、感動します。そういう感動を伝えたい。クリスチャンの友人に聖書に『人は喜ぶために生まれてきた』って書いてあるんだよと教えてもらって。自分が喜ぶ人生を生きよう、と思いました。息が苦しくなるところにもう戻れないですね。小野ちゃんの人柄も大きいかな。いっしょに居心地のいい場所をつくっていきたいですね。」

 近い将来の「グリーンウッドワーク・カフェ」の姿が目に浮かぶようだ。

 ある出張講座で体験に来た人が、ずっとしかめっ面で削っていて、嫌々やっているのかと思ったら、最後に『わざわざ遠方から来た甲斐があった。本当に楽しかった。』と言ってもらえたことが印象的だったという。グリーンウッドワークは子どもも大人も一緒になって楽しめる。子どもが別のものに興味を移してしまったあとも、大人が黙々と削り続ける姿がみられるという。

 雑音だらけの現代社会で、「今、ここに」集中することで得られる充実感・爽快感。火を焚くのと同じで、木を削ることは本能的に楽しいのではないか。少し大変だけど、こんなに何かに夢中になる時間は、普段なかなかない。

「グリーンウッドワークを生業にしたいと後に続く人が入ってこれるようにしたい。活動の幅を広げられるように、ネットショップを立ち上げたりと手を広げて忙しい日々ですが、周りからは『全然大変そうでないよね、楽しそうだよね』と言われます。そんなふうに見ていただけるのが有り難いです。」椿さんは笑って言う。

サクラで染めた布

 椿さんは最近、削りくずを使った染色を試している。サクラを挽いた後の削りくずで布を染めると、淡いピンク色に染めることができる。今後は削りくずでの染色キットを販売したいという。削りくずは最後に燻製のチップとしても使ってもらえる。


〇「モノを売る」から「コトを売る」へ

 コロナ感染拡大が少し落ち着いてきた2021年秋。上半期に延期になっていた仕事が一気に入ってきて連日、忙しい日々が続いているGWW。グリーンウッドワークは方法論であり、何かと掛け合わせることが大切だ。

「常に新しいことを生み出していく。これからはモノづくりプラスアルファを考えていきたい。この「みの木工工房FUKUBE」をふらっと立ち寄って、木を削って楽しんでもらえる場所にしたい。」と語る二人。ろうきん森の学校の残り3年間の間に、グリーンウッドワーク・カフェを実現させ、若い後継者を確保することがGWWのこれからの目標だ。

小野さん(左)と椿さん(右)

 樹木は置かれている環境を最大限活かそうと、光のある方向へ枝を伸ばし成長していく。切ったままの生木を加工する、グリーンウッドワークに取り組む二人の姿が、里山の木々に重なって見えた。

ろうきん森の学校岐阜地区の森工塾に参加した、ある親子の1日の様子

【投稿者】ろうきん森の学校全国事務局(NPO法人ホールアース研究所) 大武圭介


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