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『自分と向き合って認知症ケアを進める』              第2回3Kナラティブインタビュー


【Twitterスペース】

3Kナラティブインタビュー
テーマ:『自分と向き合って認知症ケアを進める』
インタビュアー:鷺谷 公平
インタビュイー:サブ
第2回 3Kナラティブインタビュー リンク

【概要】


高校生から双極性障害※を持ちながら
「同じような苦しみを持つ人の助けになりたい」
っと志し福祉の世界に携わる。
その中で芽生えた
「例え認知症を患っても、そうでなくとも、全ての人が自分らしく、楽しく、ワクワクしながら生きることが出来る世の中にするための一助になりたい!」このビジョンの内側を辛い体験と共に熱く語る。

※双極性障害:気分が高まったり、落ち込んだりを繰り返す脳の疾患

●趣味
・犬と散歩
・音楽
・登山
・運動(今年はトレイルランに挑戦していく)
・キャンプ
・クラフトビール

サブさんが好きなクラフトビール

●活動
認知症情報発信ブログ
YouTubeで弾き語り
(音楽療法として自己メンテナンスのために実施している)

●仕事
・小規模多機能型居宅介護(ケアマネジャ)

【きっかけ〜双極性障害】


高校受験の時、休み時間も全て勉強に費やしていた。
以前はどちらかと言うと得意だったコミュニケーションも
気づくと、友達の輪に入れない状況になっていく。

休み時間は「人と話す」ではなく「トイレや部室に籠る」

居場所のない場所にいることが常にストレスであった。

受験勉強の成果もあり、受験に成功するも殆ど高校には行かなかった。

クリニックに受診し「双極性障害」として診断される。

Learn”人は人との関係の中で感情を揺るがす”

【出会う〜思春期デイケア】



●思春期デイケア
精神科に通院中の方が利用し、社会復帰や自立した生活を目指す治療の場

ここで出会った精神保健福祉士と多くの時間を過ごす。
そして、いつかは自分も精神保健福祉士として
「同じような苦しみを持つ人の助けになりたい」と強く思うようになる。

大学に入学し、資格取得のため受験するも
2度不合格。

大学の先生から
「資格はなくても実践的な職場を経験してみよう」と助言を受け
働きながら、3度目の正直で見事、精神保健福祉士合格となる。

Learn”自分の体験が誰かを救いたい原動力”

【いざ働くと】


精神保健福祉士として病院で勤務していたが
正社員になることが難しく
焦る日々であった。

そこで友人からグループホームの仕事を勧められて
介護現場で働くが
今度は睡眠導入剤の服用から仕事するのが困難な状態になる。

一人暮らしから実家に戻る。
実家が営む農業を継ぐか考えたが
「困っている人を助けたい」気持ちは揺るががない。
やはり、福祉の道を諦められなかった。


Learn”思いは強いが思うようにならない”

【縁が繋げた新たな気づき】


再度福祉の仕事に就くためにハローワークで仕事を探す。
そこではなんと
担当してくれた人が大学でお世話になった先生の知り合いであった。
そして
心身面を考慮してもらいながら
正社員で就いたところがデイサービス(生活相談員)。

まずは現場介護からのスタート
そこで改めて気づいたことは
「利用者さんの笑顔に喜びを強く感じる」
今でもその気持ちは一つの原動力になっている。

しかし
そんな気持ちとは反して症状は依然、気持ちを蝕んでいた。

Learn”不思議な縁が大切な思いを思い出させる”

【周囲の理解〜障害】


胸が苦しい、人と話すのも億劫になる
調子が悪い時はコミュニケーションが本当に辛かった。
利用者様の前では「仮面を被って」演じることが一つの対処方法であった。

休憩中、一人になった時の疲労度は
そこだけ重力が100倍になったような感覚 と話す。

不調もピークの頃、管理者に
「2〜3日休みたい」と話す。
すると
「病院に行って専門的な目から見て何日休みが必要なのか聞いてこい」


主治医は「2〜3日休み」との見解。
その内容を報告すると管理者からは
「いや、もう1週間休みにしたので休んでください」

更に続けて
「休み後は厳しい答えが待ってます」っと告げられる。

休みが明けると
サブさんは正社員を降ろされる流れとなる。

恐らくだが、この対応は事前に用意していた内容であり
弾くことを前提に休みを取らせていたのであろう。

しかし、引き下がらず正社員として更に復帰をするが
体調不良にて2日休んだ途端
再度、正社員を降ろされてしまう。

管理者曰く
「あなたはどこの正社員も一生無理だ」

ここにいても意味はない

6年勤めていた職場を離れることを決意し

前から誘われていた居宅介護事業所に転職する


Learn”退くきっかけは症状ではなく上司の評価”

【次の現場】


前提として、昔も今も症状はよくなっていない。
更に、今までの失敗や他者からの理不尽な対応
偏見の目が自身の自己肯定感を下げ続けていた。

しかし、
今回の職場で継続的に仕事ができているのは
「周囲の承認が大きな理由にもなっている」と話す。
そこにはサブさんの「頑張り」の評価や存在の承認が有るからである。

だからこそ、辛い症状にも
耐えることができるようになっていった。

そして根本的にあるビジョンが
今もそこに居続けられる確固たる力になっていた。



Learn”人が居れるのは人と感じてもらえていると感じられるから”

【点と点が繋がる〜自分〜】




状態に診断がつき、それが公になると
人はその状態を「人」として見れなくなる場面がしばしばある。

サブさんは日常の中でそういった無意識的偏見を受けていた。

その体験は
認知症の方や介護を受ける方々と
「苦悩の本質は同じなのではないか」と思い始める。

そして
自分自身はそんな方々のために福祉の世界に今も居る。

つまり
「同じような苦しみを持つ人の助けになりたい」っと
高校生の頃に思い描いた自分に成れているということだ。

サブさん曰く
「点と点がつながった瞬間」と話す。

そんなサブさんの最初のビジョンは
認知症の方が暮らしやすい地域作りだった。

しかし
「認知症の人だけが暮らしやすければいいのか?」っと
認知症以外の資源や暮らしにも視野を広げる。

そして
現在は、地域丸ごと暮らしやすく=
「例え認知症を患っても、そうでなくとも、全ての人が自分らしく、楽しく、ワクワクしながら生きることが出来る世の中にするための一助になりたい!」
この気持ちこそが
40歳になったサブさんの「確固たる力」となっている。


learn”あの頃の思いを知っているから強くなれる”

2023年の誕プレ!お母様からのお手製エプロン👍


【今後の展望】


まずは自分自身が認知症のスペシャリストになっていく。
人に伝える時にも説得力は必要と考えている。

また継続的にブログでの情報発信を続けていく。

今後は、講師、著者としても活動していきたい。

「人を人として捉えられる世界を作る」
そんな未来の一助として有りたい気持ちが伺える。

【質疑応答】


●ミントさん(ケアマネジャ)

感想
・皆さんよく勉強されている。

・住み成れた地域で暮らすためには個々の状態合わせて、地域活動や家族の支援を受けながら生活できるのが望ましいと感じる。

・町作りを作るためには、地域包括支援センターや地域の人達(学校、警察、消防、商店、青年会、住民など)と作り上げていけると具体的になっていくのではないか。

・実践的に地域丸ごとをしていくのであれば、フォーマルとインフォーマル(保険外)のサービスを増やしていく必要があるのではないかと感じる。

●ニヤ(小規模多機能型居宅介護施設 副主任)

Qなんで正社員を降ろされたのにまたそこでやろうと思ったのか?

A純粋にそこの利用者さんの笑顔や感謝の言葉が嬉しくて楽しかったんだと思う

感想
・居場所のないところにいたサブさんと利用者さんの繰り返し行われる動作には似た心理があるのではないかと思って色々考えさせられた

・認知症ケアをする側のケアも大切だと感じた。

【ナラティブを一文字に】


言葉では伝えきれない辛い場面がたくさんあったのだと感じます。
それでも、「自分と同じ苦しい思いをしている人を助けたい」
その気持ちと向き合い続けた先に、
自分だけの理念ができあがっていったのだと感じました。

それは自分自身を障害を含めた輪郭を「認めて」いった
サブさんだからこそ、見出せたものなのではないでしょうか?

っということで
サブさんに向けたナラティブを一文字にすると

こちら!

認!まんま!

これからもサブさんを、応援しています♪
皆さんも是非、サブさんと繋がって見てくださいな!
最後まで、ありがとうございました〜!

実際のインタビューも聴いてみてくださいね(*^^*)
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