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メリアン・ポウイス ー レースへの情熱 ー

 私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。


ニューヨークのイギリス人

 Marian Powysメリアン・ポウイス( 1882-1972 )は牧師の娘としてイギリス、サマーセット州モンタキュートに生まれます。

 兄弟は、いずれも作家や詩人として知られ、メリアンは著名な兄ジョン・カウパーが当時暮らしたニューヨークに1913年に移住し、後にアメリカに永住することとなります。

 メリアンはヨービル美術学校でレースを学んだ後、叔母のひとりから経済的な援助を受けて、半年間ベルギー、フランス、イタリア、スイス、ハノーバーへと旅し、歴史やデザインの理論を学びながら、ヨーロッパ諸国のレース作りの歴史を、あらゆる角度から吸収しました。

妹のガートルード・メアリー・ポウイスによって描かれた、メリアン・ポウイスの肖像 (1903年ごろ) 
https://artuk.org/discover/artworks/marian-may-powys-18821972-with-a-lace-shawl-60039/search/keyword:marian-powys--referrer:global-search

アメリカでの活動

ー レースへの情熱

 ニューヨーク移住後に、メリアンはブロードウェイとリバティ・ストリートにあるシンガー社で速記者として勤務した後、レースの研究とデザインを続けながら、1916年にはセオドア・ドライザーと慈善家のオーガスト・ヘクシャーからの融資を受けて、レースを取り扱う最初の店「Devonshire Lace Shop」をワシントン・スクエアの60番地に開業しました。

 この店を通して、メリアンは各地の美術館にアドバイスを提供し、優れた作品の蒐集が行われました。またメリアンは専門家であるだけでなく、歴史家、メーカー、デザイナーでもありました。

 アール・ヌーヴォー、アール・デコ、キュビスムなどのモチーフを、自分の繊細なレース作品に取り入れていたのでした。彼女は自分の作品にも革新的で、スネデンズ・ランディングの素晴らしい庭に触発されて、ハナミズキやチューリップツリー、水芭蕉など、ニューヨーク州やニューイングランドの植物を初めて作品に取り入れました。

 彼女は、現代的なレース作品の製作だけでなく、19世紀までの古典的なレースデザインの重要性も説いています。

 メリアンは、過去の素晴らしいレースを、身近なものであるべきだと考え、レースの芸術性は直接観察することによって、最もよく理解できると考えていました。そのようなメリアン自身の考えにより、彼女のコレクションから集めたレースの見本と、手書きのメモを収めたノート(まさに手作りのスクラップブック)が、個人蒐集家や研究者たちに残されたのです。

 公共の施設では、ニューヨークのハドソン川沿いのパリサードの、パリサード無料図書館と、ニュー・ジャージー州の州都、ニューアークにあるニューアーク博物館図書館に、それぞれ一冊ずつのノートブックが保管されています。

ー メリアン・ポウイスのノートブック

 パリセード無料図書館に保管されているノートは、1965年5月にメリアン自身から寄贈されたもので、9×12インチほどのサイズのグレー色の台紙55枚に、82種類のレースの断片がピンで留められています。イタリアのドロンワーク、プント・ティラートpunto tiratoと初期フランドルで製作されたボビンレースにはじまり、20世紀半ばまでの、様々な時代、重要なレース製作の中心地の作品が収められています。

 ニューアーク博物館図書館のノートは、1966年当時、同館の装飾美術部門の学芸員であったJ.スチュワート・ジョンソンが、参考文献としてメリアンに依頼して提供してもらったものです。こちらは12×15インチほどの大きさで、表紙の内側には、彼女自身の手で「The Story of lace from XVI Century to the XX Century」(16世紀から20世紀までのレースの物語)と記されています。

 ニューアークのノートには90点のレースの断片が添えられ、このうちの18点はパリセードのノートと重複し、そのほか10点はメリアンの著作『 LACE AND LACE MAKING 』の、The Key of Laceの章に掲載されたものであるといわれていますが、メリアンが著作のために用意したレースサンプルは、彼女の息子ピーター・ポウイス・グレイに全て受け継がれ、ピーターの言葉によれば「ノートブックのためには、より大きく、多くの場合もっとも興味深い例を選んだのは間違いないだろう」ということです。

 パリセードのノートは、ニードルレースとボビンレースの種別ごとに年代順に構成されているのが特徴で、ニューアークのノートは、レースが製作された国ごとに、アルファベット順に並べられている違いがあります。メリアンによる手書きの説明文は、まるで生徒のためにそれぞれのサンプルについてコメントしているかのように、カジュアルで会話に近い雰囲気で、レースをより身近に感じてもらおうとする彼女の配慮が伺えます。

私の所有するメリアン・ポウイスのスクラップブックからの16世紀のボビンレースの断片

 素晴らしい感性を持った女性、メリアン・ポウイス、実は私も少しですが、彼女との接点を持っています。

 私のコレクションのなかに、メリアンの所有したものがひとつだけあるのです。


メリアン・ポウイス・コレクションの白糸刺繍の僧衣の裾飾り

メリアン・ポウイス・コレクションから  ー 僧衣の裾飾り ー

 この作品は、18世紀の中ごろにイタリアで製作されたと考えられている僧衣の裾飾りで、25cmほどの幅があり、水色のコットンサテンの布に縫い付けられています。

 このような白生地に白糸でドロンワークや刺繍を用いて、レースを模倣したデザインで製作された作品を、ドレスデンワークDresden work、またはザクセン刺繍broderie de Saxeと呼んでいます。

 18世紀当時ヨーロッパで流通しはじめた、コットンモスリンを使用して刺繍を施すのが一般的ですが、こちらの作品では、リノン(亜麻製の薄手の織物)を使用して、亜麻糸で刺繍とドロンワークがほどこされています。

グラウンドにもびっしりと菱形のドロンワークがされています
ドロンワークにより、レースのような効果を生み出しています

 こちらは、数年前に日本のディーラーの方から購入させていただいたものですが、ドレスデンワークの作品は、私のコレクションにも少なく、メリアン・ポウイスのコレクションに関係する来歴に惹かれてお譲りいただきました。

裏面には紙ラベルが貼られています

 コットンモスリンとは異なり、リノンの冷たく硬質な触感に、刺繍やドロンワークも亜麻糸を用いているので、どこか男性的な印象を受けます。

 18世紀には、製作期間を膨大に要するレースの代わりとして、このように薄手の素材に刺繍やドロンワーク、生地を2枚を重ね合わせて刺繍、ドロンワークを施したり、生地を刳り抜いたり、複数の技法を重ねてレースの模造したものが多く作られました。

 人々は自身の階級や、資産レベルに合わせ、または個人の好みに合わせて、ドロンワークによる模造レースを楽しみました。中にはレースに匹敵するほどに複雑に技巧を凝らした作品も残されています。


メリアン・ポウイスの生き方

ー レースと共に

 第二次世界大戦が終わる頃には流行の変化により、レースの価値は低下しました。より活動的な衣服が好まれ、同時にレースは一部の上流階級のもの、よりフォーマルなドレスを飾るものと見做されるようになりました。

 このような時代の変化に対応し、1945年に自身の店を閉めたメリアンは、アンティークレースを覆っていた "冷遇の冬 "を、自ら断ち切るために、会議やセミナーの開催を始めました。

 レースを過去の遺物ではなく、常に情熱の対象としていたメリアンは、このようなレースを古臭いものとして、忘れ去る風潮を変えようと願ったのでした。

 1946年にメリアンはメトロポリタン美術館の相談役に任命されます。そして1953年には、20世紀におけるレースに関するアメリカでの代表的な著作である『 LACE AND LACE MAKING 』を出版し、この著書には、兄のジョン・カウパーが序文を寄せています。

 メリアンは最後までレースとその美しさを愛し、奔放で情熱的な女性であり続けました。

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