見出し画像

アメリカのレース蒐集家 その1

 私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。


メトロポリタン美術館の展示会

ー Antique laces of the American collectors

 1919年の夏、【 ニューヨーク・ニードル・アンド・ボビンクラブ 】の後援で企画された大規模なレースの展示会がニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されました。

 ニードル・アンド・ボビンクラブの会員の多くがこの展示会にコレクションを出品し、この特別貸出展示に協力しました。

この展示会に出品された作品は、豪華な図録本に収録されて出版されました

 この展示会に合わせて出版された図録本には、メトロポリタン美術館で女性初の学芸員となったFrances Morrisフランセス・モリス( 1866–1955 )と、染織品の専門家でクーパー・ユニオンやメトロポリタン美術館の蒐集に携わっていたMarian Hagueメリアン・ヘイグ( 1874-1971 )が解説文を寄稿しました。

 フランセス・モリスは1896年に《 楽器部門の助手 》として同館に採用されました。彼女は専門的な学位や音楽教育を受けたという証拠は伝わっていませんが1896年にクロスビー・ブラウン・楽器コレクションのカタログ制作を担当したことがきっかけとなり美術館での仕事を開始し、当初は楽器を専門としていたのです。

 1905年には、楽器のほかに染織品部門にも関わるようになります。1910年にはアシスタント・キュレーターという正式な肩書きを与えられて、新設された【 テキスタイル・スタディルーム 】を担当することとなります。

フランセス・モリス

ー The Needle and Bobbin Club

 ニューヨークで生まれたGertrude Whitingガートルード・ホワイティング( 1882-1951 )は、叔母によってレースの世界への扉を開かれたのでした。 

 美術館に展示されていた「 繊細な透かし彫りのような布地 」に目を輝かせた少女は、成長とともにレースへの興味や好奇心をさらに深めていきました。

 バージニア州の大学を卒業後、スイス・イギリス・カナダのノバスコシア州でニードルワークを学びました。ニューヨークに戻った彼女は、アメリカではヨーロッパほどレースに対する情熱が浸透していないことを知りレース愛好家の協会を設立することを決意します。

 ガートルードは、当時メトロポリタン美術館の染織品部門のアシスタント・キュレーターであったフランセス・モリスにクラブ設立の相談と協力を仰ぎました。モリスはレース蒐集家たちに連絡を取り、彼らは熱意をもってそれに応えました。こうして1916年にニューヨーク・ニードル・アンド・ボビンクラブが結成されたのです。

メトロポリタン美術館の【 レース・ルーム 】 ( 1907年 )

 フランセス・モリスとガートルード・ホワイティングの交友によってニードル・アンド・ボビンクラブの歴史はメトロポリタン美術館の歴史とも密接に関係することになります。

 クラブの最初の会合は1916年2月8日にメトリポリタン美術館で開催されました。その直後の『メトロポリタン美術館報』には、クラブには初年度にすでに200人の会員がいたことが報告されています。

 ガートルード・ホワイティングに次いで、フランセス・モリスが【 ニードル・アンド・ボビンクラブ 】の成功に大きな役割を果たしました。この2人の友情の結実したものが1919年の大規模なレース展の開催へと繋がっていったのです。

アメリカのレース蒐集家たち

ー 展示会の協力者

 1919年のレース展に出品した人物にはクラブの創設者のガートルード・ホワイティングや解説文を寄せたメリアン・ヘイグをはじめ、1895年に非公式ながら【 クーパー・ユニオン芸術装飾博物館 】( 現在のクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館の前身 )を開館したEleanor Garnier Hewittエレノア・ガーニエ・ヒューイット( 1864-1924 )がいました。

 エレノアは少女のころより染織品に興味をもち、海外を旅しては染織品をはじめとするさまざまな工芸品の蒐集を重ねていきました。彼女は素晴らしい審美眼をもっていた女性で、見た瞬間に美術的価値を見抜くことができたそうです。 

エレノア・ガーニエ・ヒューイット

 また、国際的な投資家の夫と共に芸術家のパトロンとして知られたFlorence Meyer Blumenthalフローレンス・マイヤー・ブルメンタール( 1875–1930 )のコレクションも貸し出されていました。 

 フローレンス・ブルメンタールは1925年に夫とパリへ移住、フランスで芸術家たちの支援をつづけ同地で没しています。

フローレンス・マイヤー・ブルメンタール

 そのほか、アメリカの銀行家で投資家・慈善活動家として知られたジョン・ピアポント・モーガン・ジュニアの夫人Jane Norton Grewジェーン・ノートン・グルー( 1868–1925 )、彼女の義理の姉妹で作家・実業家のハーバート・リビングストン・サタリーと結婚したLouisa Pierpont Morganルイーザ・ピアポント・モーガン( 1866–1946 )、ニューヨーク・セントラル鉄道やアメリカン・タバコ・カンパニーの創業家で不動産所有で知られたEva Van Cortlandt Hawkesエヴァ・ヴァン・コートランド・ホークス( 1859-1947 )、弁護士で金融・不動産開発業・製糖業・慈善活動家として活動したウィリアム・ベイヤード・カッティングの夫人Olivia Peyton Murrayオリビア・ペイトン・マレー( 1855–1949 )、同じく弁護士で金融業・事前活動家のロバート・ウィークス・デフォレストの夫人Emily Johnsonエミリー・ジョンストン( 1851–1942 )、イタリア系移民問題に関わった弁護士でジャーナリスト・作家のジーノ・チャールズ・スペランツァの夫人Florence Colgateフローレンス・コルゲート( 1873-1951 ) などが名を連ねています。

オリビア・ペイトン・マレー

 またメトロポリタン美術館の館長で、アメリカ法曹協会・ニューヨーク市立美術協会・巡礼者協会・全米児童労働委員会の会員でもあったウィリアム・ヘンリー・ブライスの夫人Anna Dorinda Blaksleyアンナ・ドリンダ・ブラックスリー( 1851–1935 )や、ジャーナリストのジョーゼフ・ピューリツァーの夫人Katherine "Kate" Davisキャサリン・デイヴィス( 1853–1927 )、上院議員でありロードアイランド州知事のジョージ・ピーボディ・ウェトモアの娘で慈善活動家のEdith Malvina Keteltas Wetmoreエディス・マルヴィナ・ケテルタス・ウェトモア( 1870-1966 )、染色工業で財を成した企業家で米仏友好議員連盟役員・事前活動家のアルバート・ブルムの夫人などが所有していたレースを展示会に貸し出しました。

 19世紀から20世紀にかけてのアメリカの政財界を代表する人々の夫人の多くが、アンティークレースをはじめとする古い染織品の蒐集をしていたことがわかります。

 このようなコレクションは慈善活動の一環として、所有者の没後にアメリカの諸都市の博物館・美術館に寄贈されていったのです。


その2につづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?