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さくら

先日、『世の中にたえて桜のなかりせば』という映画を見ました。

きっかけは友人に「古文の先生(=僕)が一番好きな和歌は?」と聞かれて、

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
(訳:この世に全く桜というものがなかったならば、春の人の心は、「いつ咲くのかな」「もう散ってしまうな」などと悩み、乱れることはなかっただろうに)

という伊勢物語に出てくる和歌が咄嗟に出てきたことでした。

これが本当に一番なのかと聞かれると、正直そこまで大量に脳内ストックがあるわけではないので怪しい。

ただ、つい出てくるということは、好きかどうかは別にして、心象深いものであったことは違いないのでしょう。

映画の詳細な内容は控えますが、"終活"をテーマに、「生きるとは/死ぬとは」ということについて描かれた映画だと、ざっくりですが感じました。

その中に、『自分の感受性くらい』などで有名な詩人・茨木のり子さんの『さくら』という詞が引用されていました。

初めて知った詞でしたが、とても素敵だったので紹介します。

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞(かすみ)立つせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

茨木のり子『さくら』

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