幼少期2

前回の続き、
先日、國ちゃんのオバチャンと会った。正確な時系列の確認のためだ。
人間の記憶はいい加減なもので、曖昧であったり、記憶にすら無いこともあった。
思い出話に笑い、嗚咽がでるほど泣き、懐かしい写真を見せてもらった。これらの情報を織り交ぜて懐古したいと思う。

前回と同じように、差別、犯罪、暴力描写が含まれているとともに、身元が検索されないよう、一部フェイクを使用する場合があるので、予めご了承をいただきたい。

かくして、國ちゃんの家の家族となった。私が小学4年時、本格的な冬到来の頃だった。
店の開店準備を手伝い、國ちゃんの姉、恭子ちゃんに勉強を教わり、國ちゃんと宿題をしてゲームをして過ごした。
挨拶、常識的な事やマナー、お箸の持ち方など、ごく当たり前の生きていくうえで非常に大切なものを教わった。
海水浴やプール、動物園など色んな場所へ連れて行ってもらった。
このころ、テルちゃんは、声を出して笑うような変化があり、オバチャンは涙を流して喜んでいたようだが、私の記憶にはない。そもそも以前から声を出して笑っていた、ということで先日口論となった。
空腹に耐えながら自転車で徘徊していた頃、「普通」に憧れていた。
どこにでもある家庭、家のカーテンから灯りが漏れ、テレビの音、会話する声、夕食の匂い、窓ガラスの結露でさえ、羨ましいと感じていた。
國ちゃんの家族のお陰で、強く憧れていた「普通」を実感できて嬉しかった。いつまでも置いてもらるよう、言われたことは率先して取り組み、テルちゃんにも言って聞かせて、毎日を過ごすことができた。
ある学校の昼休み、私の教室に来るはずのテルちゃんが来なかった。来ないのは仕方がないので、校庭へ遊びに出掛けた。
昇降口のところで、同級生にイジメられ、泣いているテルちゃんを見つけた。直ぐ傍に置いてあった竹箒で、相手を叩きのめしたところで、先生に制止され、連れて行かれた。
夕方、ある教室で、相手方の児童、児童の両親、私とテルちゃん、先生で、母を待っていたが、来なかった。
指定された時間が大幅に過ぎたところで、相手のお父さんから辛辣な怒声を浴びせられた。
住む地域のこと、父親がいないこと、母親のこと、テルちゃんのこと。
話している人の目を見て聞きなさい、と國ちゃんのオッチャンから言われていたので、目を逸らさずに怒声を聞いた。
先生は何も言わなかった。
相手方が帰ると、先生に家まで送ってもらった。母のスナックの看板に電気が灯っていたのを見てから、二人で國ちゃんの家にいった。
テルちゃんは「ありがとう」と、しつこく何度も言っていたが、頭を叩いて黙らせた。
オバチャンから、なぜ遅かったのか、と訊ねられたので、怒声のこと、母が来なかったことは隠して報告をした。
箒で叩いてはいけない等のお説教をされた気がしたが、あまり覚えていない。怒声のショックの方が大きかった。
数日、そのことばかり考えていた。色んな事が嫌になっていた。
しばらくして、テルちゃんから事の真相(母が来なかったこと。怒声のことは知らなかった。)を知ったオバチャンが、怒ったような声で、私に言った。
「自分の気持ちは、正直に言いなさい」と。
我慢が出来ず、堰を切ったように、あの日の怒声、母のことを話すと、オバチャンは学校へ向かった。
数日が経った夜、國ちゃんの家から自宅に戻ると、近所の銘菓の菓子折が置かれていた。テルちゃんが確認したが、中身は無かった。テルちゃんがしつこくねだってきたので、
「大人になったらこうたる」と言って聞かせた。
近所の銘菓の前を通りがかった際、店越しに値段を確認したが、2,000円と書かれているのを見て、絶句した。テルちゃんが早く忘れてくれるのを願った。
今でも銘菓はあるが、絶対に買わないことに決めている。誰かに戴いても口にしない。
後述するが、輝希はもうこの世にいないからだ。店の前を通るたびに「どんな味がするんやろな?」と楽しそうに話していたのを思い出すと、やりきれない。
そのかわりに、オバチャンが毎年の命日にお供えしてくれているようだが、オバチャンには、欲しがってたんはそれとちゃうやつやで。と言ったら、怒声を浴びせられた(笑)。
私は、まだ約束を果たしていない。どうにも厄介な性格をしているが、これもまた違う話。。。
次に続きます。

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