⚡️|敏感と鈍感、心と身体のはざまで。
こんにちは。
今日の心の天気は、雷雨です。
ストレス注意報出てます。
子ども達が夏休みに突入して1週間。
子どもたちは、私が仕事をしている間は、児童クラブと幼稚園のお預かり保育に通います。
夏休み前の普段の生活でも結構ギリギリなのですが、
それに加えて、夏休み中の子ども達の弁当作り、夏休みの宿題見守り、それに今年の夏の尋常じゃない暑さが加わり、参っているところです。
平日:ママの負担がどどんとアップ。
休日:平日にあわただしくて取りかかれない作文や、絵画の宿題を進めないといけないので、ママの負担、アップ。
や、休みたい、、、
いいんです、子どもの宿題とか適当で!
とにかく、私のメンタルの健康第一で参りたいと思います、、、
こうやって、noteでアウトプット(これは完全なるグチですね、、、)
することで、「詰まり」を解消できてありがたいです。
私は内向型人間です。
そのことを自覚できる前は、外向型の人たちと同じ行動がうまくできなくて、落ち込んだり、自分を卑下したりすることがよくありました。
今は、内向型、繊細さんであるということを、なんとなくですが誇りを持って自覚できている感じがします。
でも、「繊細さん」って本当でしょうか?
狩猟採集民の時代と比較して、現代人の五感はお粗末なものです。
目は近視で見えない。
スマホを見て情報収集をしながら、またはオーディブルを聴きながら食事をする。何を食べているのか、自分でも忘れてしまう。味覚も聴覚も中途半端。
いろんな香料にまみれた生活で嗅覚も低下。
他人の「いいね」や「すき」が優先で、自分の感情に鈍感になる。
触覚は、アレルギーで逆に過敏??
狩猟採集民族が聞いたら笑っちゃうかもしれませんね。
これで感覚が繊細って、どういうこと?って。
情報が溢れている現代で、気持ちを保って生きていくには、
鈍感になることが必要なのかもしれません。
でも、どんどん鈍感になっていって、その行き着く先は何なのでしょうか?
「私」が、大量の情報の中に溶けていって、最後に残るものは何でしょうか?
自分の感情よりも、人の評価、感情を優先するようになった時、
心は他人に同調していても、身体は「私」のままです。
この、心の身体の乖離が起きてしまって、
私自身の辛い時期があったのかもしれない。
そんな風に思い返しました。
昔と比べて便利になった現代の生活ですが、
繊細・敏感と鈍感のバランスをとりながら、
心と身体のバランスをとりながら、
生活していくことって、
実はものすごく大変なことなのかもしれません。
やじろべえのように、ゆらゆらしながら、自分の心地よいバランスを追求したいものです。
今日も一日、穏やかに過ごせますように。
最後まで読んでくださってありがとうございました。一人一人の読者の皆さまが読んでくださることが、私の大きな活力となります。 あなたの今日が素敵な1日になりますように!