アウトプットについての勘違い1

フィリップス&ピュー『博士号のとり方:学生と指導教員のための実践ハンドブック』を読んだ。

これは博士課程一年目か、あるいは博士課程に出願する際に読んでおくに越したことはない代物で、博士課程で身に付けるべきこと、博士号とは何か、研究の進め方、指導教員との付き合い方など、博士課程において待ち受ける困難とその克服の仕方が書かれている。博論執筆中に読むのは遅きに失した感があるものの、それでも得るものは多かった。

(版を重ねた著作ということを考えると、ハウツーの類をかき集めていた初年次に手に取って眺めたことはあるのかもしれない。それでも記憶に残っていないということは、その時には必要性が理解できない情報だったのだろう。終盤に来た今だからこそ、この本の価値が分かるのかもしれない。)

中でもアウトプットに関しては、この本のお陰でようやく全体像がつかめた感覚だ。
というのも、これまで読んできたアウトプットに関するアドバイスは、頭の中で空中分解してしまい、数あるアドバイスを渡り歩く形で失敗を繰り返すことになってしまっていた。

特に問題だったのは、
①「毎日何らかの形で執筆を続けるべきである」
②「構成や章立てを決めてから執筆に入る」
の関係である。

私は①を「研究ノート」を書き続けることだと理解していた。つまり、どのような作業をし、どのようなことを考え、どのような発見があったか/なかったか、次はどのようなことをするべきなのかということを、毎日書き付けておくのを怠らないようにする、という意味であると。
というのは、自分は医学系の研究室にいるため、論文は(基本的に)IMRADの形式で書かなければならない(と教えられている)。
IMRAD形式の場合、執筆作業には中断が想定される。推奨される執筆パターン↓では、IntroductionとMethodsの執筆を終え、そこからデータ収集&解析の長い旅路に入る。

また、②のアウトライナー形式での執筆の推奨は、執筆の材料がそろってから実際の執筆にとりかかることを想像させた。
そのため、整合的な解釈として、①を「毎日研究ノートを書く」と理解していた。
それは次の視点を欠いていたため、全くの間違いである。
つまり、アウトプットは筋トレと同様の能力であるという不可欠な視点である。
(続く)

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