いちねん
今まで装ってきた自分を捨てて、ありのままでいられるように。
noteを初めてもうすぐ一年が経つ。
これでもかってくらい辛いことが重なった2020年。 2021年は私にとってリハビリの年だった。
今までの自分は本当の私。
一年間で別人のようになった自分も本当の私。
だんだんと素をだせるようになってきた。
何十年とかけて築いた友情も、一瞬で崩れる。
どんなに濃い血を共有していても心まで共有することはできない。
積み重ねた思いやりも努力も、結局のところ自分の中の出来事にしか過ぎないのだ。
「ありのままの私を受け入れてくれる人なんて、いるのだろうか?」
他の誰かを補償として側に置いておく事はできなくって。
他の誰かが自分を完全に理解してくれるはずだと思ってもだめ。
他の誰かに自分を愛してくれと、愛することも知らぬまま求めることもいけない。
辛いことを経験してやっと理解できた気がすることが増えた。
「『頑張って』ではなく『頑張ろう』
『頑張ろう』よりも『頑張らなくていいよ』
私は、十分に頑張ってきたのだから。」
「貴方よりたくさん辛い経験をした。」という人より「辛いこともあるよね。」と寄り添ってくれる人の方が深い傷を抱えている気がして。
「私だって」なんて言葉は簡単に口にするべきではないと学んだ。
「ただ、生きているだけで。
ご飯を食べられるだけで、体を毎朝起こせるだけで。
それだけで幸せなんだ。」
でも、結局そこらにある幸せにはまたいずれ、気づけなくなりそうなんだ。
いつかは。
×××××
ただの人間関係だけでなく、恋愛にも学びは多かった。
遊びに見えることでも私にとっては大切な人生経験で、そんな私を遊び人だと囁く彼らとは浅い付き合いしかできない。
「すき」はただの意見にしかすぎなくて、「会いたい」は「すき」とイコールではない。
簡単に落ちない貴方は面白いけれど、落としたい、独占欲を「すき」と錯覚しているのかは自分にもわからない。
「すきな人ってなんだろう、寂しさを埋めたい」
そんな時に遊びなのか、ゆっくり進めたいだけなのかを見誤れば寂しさは増えるのみ。
そこで増えた寂しさをまたどこかで埋めようとピースを探しても、合わないピースは周りのピースを傷つけ、寂しさを大きく大きく広げて行くだけ。
「恋愛」を楽しんでいるのか「寂しさ」を埋めようともがいているのか、もしくはその何方もなのか。
フワフワと浮いていたら、如何にもならない虚しさが襲ってくる。そう感じた。
××××××
本当に、世の中にはたくさんの人がいる。
優しそうで、悪いことを企む人。
ちゃんと考えられる大人だと思ったのに、幼稚だった大人。
欲のままに相手を傷つける人。
理想を現実化するために上手く人を利用する人。
何もなかったかのように消えてしまう人。
人を信用できるか。
その答えはYESでありNO。
私は誰かと過ごすとストレスが溜まる。
でも、1人で暇を持て余すよりずっとずっとマシだつた。
信用できなくても、偽物でも、その時限りでも。
孤独よりマシなんだって考えは変わるのだろうか。
色んな意味で人と人が同じように相手を大切に思うことって、そんな人に出会えるって、
すごくすごく凄いことなんだって気がする。
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今年は自分を優先する。
人に優しくする様に、自分にも優しくする。
嫌な事は嫌って、やりたい事はやるんだ。
そして、良い人に出会いたい。
良し悪しではなく、私の中の、良い人に。
「パズルのピースを探そーっと」
最後に
noteは私にとって大切なピース。
どうにもならない感覚、感情、意識やそれらの全てを埋める産物になってくれたから。
読んでくれる人、投稿してくれる人、この場も全部が全部、さいっこう。
ありがとうございます。
どうぞ、これからもよろしくnote :)