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恋愛ができないと、祝福されないの?

私は元ポリアモリー(ポリアモリー的交際経験がある)、
現在は同性愛者よりのアセクシャルだ。
アセクシャルとは、恋愛・性交の欲求がない人のことを指すらしい。
私は、『ほぼ』それだ。

誰かと恋愛したいとも、セックスをしたいとも思わないが、個人の性的欲求はある。その辺りは、個人差があると思う。
大事なことは、人を愛することができないわけではない。
尊敬しあい、関係を築くこともできる(と、思っている。)

タイトルの問題にぶち当たった。
きっかけは、コロナ流行の最中、Facebookの投稿に浮かんできた1組のカップルの写真。
友人のK君。そして、初めて見る女性のツーショットだった。2人は手を掲げて、指輪を見せるポーズをとっている。どうやら、結婚するようだった。
コメント欄は、祝福のメッセージの嵐だった。
彼は、何年も前から結婚し家庭を持つことを目標に、行動していた。
「彼女がほしい。」と言うものではなく、「結婚したい。」と言う、私か見ると、とても壮大な目標だった。彼は成し遂げて、次の段階へ進んでいった。
私は、彼が努力していたことを知っていたので、とても嬉しかった。祝福のメッセージを送った。

結婚式ってなんだろう。
以前、友人の結婚式の司会をしたことがある。
当人同士の祝いの式であり、両家のお祝いの席である。
ご家族、会社の関係者、友人たち。たくさんの人たちが円卓を囲みながら、友人の結婚を祝っているのを目にして、私も幸せのお裾分けを頂いた。
出会いがあって、恋愛、婚約、結婚。とようやくたどり着けるもの。
1つの区切りであって、それがゴールではないけれど、
だからこそ、そのカップルの人生に1回あるかないかの節目を、盛大に祝福するのだろう。

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1,033字

元ポリアモリー。誰も好きになれない。同性愛よりのアセクシュアル。

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