北京で学ぶ国際関係

根本は社会主義

大学の講義では、途中から教授の話を聞くのを半分放棄した。それより、教科書や参考文献を読んで、目で理解するということに方向転換。漢字のおかげで、教科書を読んだ方が数倍理解が早い。

講義で面白かったのは、「毛沢東概論」や「マルクス思想」、「世界の社会主義概論」といった中国ならではの科目たち。忘れてはならない。ここは社会主義国家だ。これらの一部科目は全学部生に対して履修が必須であるものもある。

毛沢東思想を学んでいると、富は一部の人が握るのではなく、皆で平等に分け合うという社会が、ある意味とても理想に思えてくる。毛沢東の思想は論理に筋が通っており、明解でのめり込みそうにもなる。ただ、これを実践した時にどれだけの命が奪われ、自然や文化が破壊されたかという事実は歴史が示す通りだ。

でも、中国という国そのものは、民主主義国家で育った我々が当たり前だと思う社会のあり方とは、根本自体が違っているということを理解する上でとても役に立った。

これでいいのか試験方法

試験は記述式。教授が講義で主張した内容をそっくりそのまま書けば良いといったスタイルの試験が多かった。ある授業では、教授の主張を基にして自分の考えや分析を展開すると「減点対象となる」という高圧的な科目もあった。

丸暗記型の勉強法は、遅くとも高校レベルで終わりにするべきではないか。大学に入ってまで、このような試験を行っているのは驚きだ。中国の若いブレインたちをここに留めておくのはもったいないとさえ思った。

こんな時、ここはやはり社会主義国家だということを思い知らされる。大学の中でさえ、批判的に物事を分析したり、自由な発想を展開するというのは、あまり歓迎されない風潮があった。

図書館に眠る日本語書籍

意外なことに、北京大学の図書館には、たくさんの日本語書籍が所蔵されている。図書館のアーカイブで検索すると、多くの古い名著がヒットする。小林秀雄の本を借りた時だったか、年季の入った本には多くの棒線が引かれていることに気がついた。

「こんな古い本なのに、そんな時代にも日本人が留学していたのか・・・」と興味深く棒線を目で追いながら読んでいると、読者はどうやら当時の現地学生のようだということがわかった。

海外書籍が中国語に翻訳され、流通するのは極めて困難な時代があった。当時の学生は、外国語で海外の思想を勉強していたのだろう。日本語なら漢字の字面からでも内容が把握できるはず。きっと多くの学生に読まれていたに違いない。本に引かれたおびただしい棒線を見るだけで、すごい気迫を感じる。

89年に起きた天安門事件は、北京大学の学生寮を出発地として大規模なデモに発展したと言われている。学生たちはより開かれた自由な社会を切望して声をあげた。この本に棒線を引いていた学生も、デモに参加していたのだろうか。その本を今、私が手にしている。なんだか不思議な気持ちになった。



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