経済成長という呪い

近代に形成されたアイデア〜『経済成長という呪い』

◆ダニエル・コーエン著『経済成長という呪い 欲望と進歩の人類史』(林昌宏訳)
出版社:東洋経済新報社
発売時期:2017年9月

経済成長とは「時の経過とともに経済の規模が拡大すること」(スーパー大辞林)です。経済成長率は、国民総生産または国民所得の増加率で示されます。現代の日本人にはおなじみの概念ですが、本書はそれを「呪い」ととらえているようなのです。一見穏やかではないタイトルですが、決して奇を衒った内容ではありません。

人類の壮大な歴史を駆け足で振り返り、「経済成長」という概念を様々な角度から再検討する。コンセプトは明瞭ながら、参照される知見は学際的で多岐にわたっています。さながら知の万華鏡ともいうべき本です。

コーエンは「経済成長」という概念が近代の産物であって、人類史を通じてつねに追求されてきたものではないないことを指摘します。

……経済成長はほんの二世紀前に登場した新しいアイデアなのだ。太古から一八世紀の産業革命前夜までの期間、人類の収入は今日の貧困者たちと変わらない一日一ユーロ程度で低迷していた。(p22)

ただコーエンの関心は、最終的にはその「アイデア」をもっぱら心理学的な側面から相対化することにあるようです。人々の不安を和らげるのは「経済成長」という約束であって約束が実現することではないとさえコーエンは述べています。

たとえば心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーは「本人が標準と考える状況と比較」することによって、その人の幸福/不幸が判断されるのだと主張しました。

日本でも「隣の芝生は青い」という格言が折りに触れて引用されます。本書の核となる認識もそれに通じるものがあるように思われます。
ですから人間が成長神話から解放されない理由の一つをその心理的な機制に見出そうとするのは本書の文脈からすれば必然でしょう。当然ながらそのような考察を経て提起される処方箋は良くも悪しくも観念論的です。

人間の欲望は、その人が身を置く状況から多大な影響を受ける。ゆえに人間は飽くなき無限の欲望を抱くことになる。そうした人間の欲望を地球の保全と整合性をもたせるためには、新たな転換が必要になる。それは物質的な経済成長の追求ではなく、人々の精神構造の変化によってもたらされるだろう。
……これが本書の結論的な展望です。

本書が参照する知見にはいろいろと学ぶところがありましたが、経済成長という歴史的概念と人間の幸福感の区別がきちんと整理されていないのではないかという疑念を最後まで拭い切れなかったのも事実です。さて聡明なる読者諸氏はコーエンのような見解に賛同できるのでしょうか。

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