初期仏教_Fotor

無神論の立場から個の自律を説く〜『初期仏教』

◆馬場紀寿著『初期仏教 ブッダの思想をたどる』
出版社:岩波書店
発売時期:2018年8月

仏教がインドに誕生したのは、紀元前5世紀頃のこと。
その後、400〜500年の間に南アジア各地に伝播して、この地域を代表する宗教に成長していきました。発祥の地であるガンジス川流域から大きく飛躍した仏教には紀元前後に重大な変容が起こりました。それは南アジアと西方との関係が影響しています。本書ではこの変容以前の仏教を「初期仏教」と定義します。

初期仏教は、近代西欧で作られた「宗教」概念に照らせば「宗教」にあてはまるのかはなはだ疑わしいと著者はいいます。そもそも初期仏教は全能の神を否定しました。その意味では無神論です。人間の願望をかなえる方法を説くのではなく、むしろ自分自身すら自らの思いどおりにならないことに目を向けます。また宇宙の真理や原理を論じることもありません。人間の認識を超えて根拠のあることを語ることはできないと初期仏教は主張するのです。

有神論や宇宙の真理を説く代わりに「個の自律」を説くのが初期仏教の重要な特徴です。超越的存在から与えられた規範によってではなく、一人生まれ、一人死んでゆく「自己」に立脚して倫理を組み立てます。そして生の不確実性を真正面から見据え、自己を再生産する「渇望」という衝動の克服を説いたのです。

仏教誕生以前に成立していたアーリヤ人社会では、ガンジス川流域に都市化が起こり、都市化を背景として唯物論やジャイナ教などの思想が生まれていました。仏教の出家教団は誕生直後から他の思想や信仰と競合し、様々な議論が交わされていました。仏教は、バラモン教やジャイナ教、唯物論と一部で共有する考え方をもっていましたが、同時にそれらに対する批判をもって差異化をはかります。

ところで、初期仏教からその後の段階へと進むことになった紀元前後の「変容」とは何だったのでしょうか。そのひとつとして挙げられるのは「口頭で伝承されていた仏典が書写されるようになったこと」だといいます。

口頭で、または後に書写して、仏典の伝承を担ったのは「部派」と呼ばれる出家教団の諸派です。そのため、部派の仏典を通さなければ初期仏教の思想を知ることはできません。

ブッダは自分が没した後は「法と律」を師とするように命じ、解脱した出家者たちは「法と律」をまとめ、仏典として伝承してきた、と仏教教団は主張しています。「結集仏典」と呼ばれるものです。結集とはブッダの教えを「共に唱えること」をいいます。

そのような「結集仏典」が後に「三蔵」として体系化され伝承されていきます。結集仏典のなかでは、上座部大寺派、化地部、法藏部、説一切有部、大衆部の五部派のヴァージョンがすべてではないにせよ現存しています。本書が依拠しているのは、いうまでもなくそのような結集仏典や諸部派の三蔵にほかなりません。

先に記したように、「主体の不在」あるいは「生存の危うさ」という視点で「自己の再生産」を批判的にとらえる仏教は、その究極目標として「自己の再生産」からの解放(解脱)を掲げます。いわゆる「輪廻」からの解放です。「再生しない者」こそが真に「高貴な者」だというのです。その詳しい内容についてここで安易に要約するのは控えますが、いずれにせよ、その点が先行する宗教との決定的な相違であり、仏教の核心といえます。「高貴な者」という言葉の意味を刷新して、新たな生き方を示したことが仏教の拡大する原動力になったのです。

本書では最新の仏教学の研究成果を盛り込みながら、丁寧な足取りで初期仏教をたどっています。前半は学問研究上の手続きをめぐる記述に紙幅を割いていて、読み味がお勉強モードに傾きますが、そのような研究方法の記述ゆえに本書に説得力をもたらしていることもまた疑えません。

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