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ハーモニーを生きる〜『ピアニストは語る』

◆ヴァレリー・アファナシエフ著『ピアニストは語る』
出版社:講談社
発売時期:2016年9月

旧ソ連からベルギーに亡命し、活躍を続ける世界的ピアニストが講談社現代新書のために語りおろした記録。アファナシエフは文筆家としても知られ、2001年に和訳版が出たエッセイ集『音楽と文学の間』はとても面白く読んだ記憶が残っています。

本書では、第一部で旧ソ連からベルギーに亡命するまでのドラマティックな半生を振り返ります。第二部ではベートーヴェンへの新たな挑戦を具体例として、近年の演奏の変容を中心に彼の音楽に対する思索と実践を語っています。

モスクワ音楽院での恩師ヤコブ・ザークとの屈折した師弟関係にまつわる回顧談がとりわけ興味深い。彼はある時、レッスン中のアファナシエフの楽譜に「呪われてあれ」と書きつけたといいます。「この言葉によって私がさらに強く鍛えあげられることを彼はもくろんでいたのです」。教師からは必要なものだけをもらえばよい。それがアファナシエフの考えでありました。

海外でのコンクール出場、コンサートツアーから亡命に至るまでの経緯もかなり生々しく語られていて映画化すれば面白かろうという内容です。もっとも亡命後の西側での生活には失望感もあったらしい。
「西側にも、これは日本も含めてですが、コマーシャリズムによる見えない巨大な検閲制度が存在していたのです」という批判は今さら珍しくもないけれど、アファナシエフの口から語られるとやはり重みは違ってきます。

2015年、アファナシエフはベートーヴェンの三曲のソナタ(『悲愴』『月光』『熱情』)を録音しました。そこではハーモニーを重視する新たなアプローチを示したことで話題になりました。

私はいまハーモニーの意味について深く考えています。私の人生にとって、非常に重要な変化ですから、このことについてお話ししましょう。私はここ数年来、ハーモニーという面から、音楽を見つめ直すようになったのです……。(p155〜156)
……論理的にというよりも、ハーモニーに沿って多くを聴きとるということが重要です。すると、メロディーそのものが横に延ばされて、時間を拡張したハーモニーになってくる。演奏していると、そのようなことが起こるのです。これを感じとることができると、私ではなく、誰かべつの人が演奏しているように思えてくる。コンサートホール自体が演奏している感じです。これは大切な感覚で、そこから自分のすべきことに熟達していくのです。(p156)

ハーモニー、メロディー、リズムの要素を、どのように一体のものとしてオーガナイズするのか、という問いには「ただ、ひたすら聴くことです。そして、フランス語の表現にいう『音に無理強いしない』こと。過剰にやりすぎない、音楽から外れない──これが私の信条です」。

アファナシエフ自身が語った音楽論・文化論としては『音楽と文学の間』に収録されている浅田彰や小沼純一、川村二郎によるインタビューの方が私にはスリリングに感じられましたが、自身の半生を回顧し、演奏の変遷をたどる談話として本書もまた意義深い本といえるでしょう。

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