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日本の未来を担う人たちを支援する!?〜『だからあれほど言ったのに』

◆内田樹著『だからあれほど言ったのに』
出版社:マガジンハウス
発売時期:2024年3月

相変わらずマスコミからは引っ張りだこの内田樹ですが、本書は失礼ながらマンネリズムの印象を拭えません。
世の中の問題はすべて程度問題。暴力をゼロにすることはできないが減らすことはできる。愛することより傷つけないこと。……個々の見解にはとりたてて異論はないにしても、どれもこれも既刊書で論じてきた持説を繰り返したもので、その意味では本書には新しい発見も知的刺激も感じられませんでした。その程度のことなら、ここでわざわざ取り上げる必要を感じなかったはずですが、さらに疑問点があります。

内田はあとがきで本書の中心的なテーマは「日本の未来を担う人たち」をどうやって支援するか、ということに尽くされている、と述べています。若者の味方であるかのように振る舞うのが最近の内田のお決まりのしぐさらしい。しかしゼロ年代から内田の著作に触れてきた私からすれば、いい気なもんだなと思わずにはいられません。

内田は2007年に刊行しベストセラーになった『下流志向』で「ニート」について論じました。今では死語化していますが、就学・就労していない、また職業訓練も受けていない若者を意味する言葉として当時は常用されていました。内田は、労働市場における当時の若者について、「等価交換」としての消費行動のスキームの中にあるとみなし、彼らは時間を勘定に入れ忘れているがゆえに、等価交換の価値を感じえないような行為すなわち労働から確信をもって逃走していると「分析」しました。

その分析は刊行直後から批判に晒されます。実際には、若年雇用の低迷が「ニート」を生み出した主因であるという決定的な論証研究がすでに提出されていたのですから当然です。若者たちは働きたくても働き口を確保するのに困難をきたしていたというのが実態でしょう。雇用側の都合や政策上の無策を不問に付して、若者の消費マインドのみから「ニート」を説明した内田説は有害無益な与太話だったというほかありません。

内田自身もみずからの芸風を「与太話」なる言葉で自嘲的に述べることがありますが、少なくとも『下流志向』における与太話は、笑ってごまかせるようなものではなかったと思います。

そんな内田に今さら若者の支援者ヅラされても違和感が先立つのは私だけではないでしょう。「だからあれほど言ったのに」などと他者を揶揄するような言辞を弄する前に、まずは過去に行なった自身の妄言を猛省すべきではないでしょうか。

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