ハーバード日本史教室_Fotor

他国の歴史に学ぶ英知〜『ハーバード日本史教室』

◆佐藤智恵著『ハーバード日本史教室』
出版社:中央公論新社
発売時期:2017年10月

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。プロイセンの政治家、オットー・フォン・ビスマルクが言ったとされる言葉です。同じ歴史でも自国の歴史以上に他国の歴史から学ぶ者は、より賢いということになるのでしょうか。本書を読むにあたって私はそのようなことを考えました。

もっとも本書のコンセプトはビスマルクの言葉とは直接関係はありません。世界の精鋭が集まるハーバード大学では日本史をいかに教えているのか。そのような日本人の素朴な関心から、現役の教授を中心に10人のハーバード大学関係者にインタビューした記録です。著者の佐藤智恵は、NHK、ボストンコンサルティンググループ、外資系テレビ局などを経て、現在は作家・コンサルタントとして活躍している人物。

『源氏物語』や『今昔物語集』を授業で必ず取り上げるというアンドルー・ゴードン。光源氏の女性関係は女子学生におしなべて不評だといいます。「九歳ぐらいの少女を将来の妻にするために自分のもとにおいて、自分好みの女性に育てあげるというのは、今の時代であれば、性的虐待ともとれる行い」であり、その点が「気持ち悪い」という感想につながると紹介しています。
現代の規範から他言語の古典に描かれたキャラクターを判断するのは文学の読解としてはつまらないことだと思いますが、何につけ自己の考えを堂々と表明するのは彼の地の学生が身につけている態度なのでしょう。
城山三郎の『メイド・イン・ジャパン』を通して日本の高度経済成長を学ばせるという試みはおもしろいかもしれません。

ゴードンとともに日本史の通史を教えているデビッド・ハウエルは幻の貿易都市と言われた青森の十三湊や幕末の大名・堀直虎、『忠臣蔵』で有名な赤穂事件などを題材にしています。「戦う人」から「統治する人」へと変わった武士階級による国内統治についてのハウエルの見識は、なるほど優れているように思われます。江戸時代の幕藩体制は幕府が直接領土を統治する仕組みではなかったために、厳しい階級制度とみられていた割には柔軟性の高いやり方だったといいます。

日本近代史を専門とするアルバート・クレイグの明治維新論も興味深い。彼によれば、坂本龍馬や西郷隆盛よりも、木戸孝允、大久保利通こそ明治維新の主役だということになります。木戸や大久保の方が明治政府で果たした役割は大きかったからです。二人は私益よりも国益を優先したと思われる点で、クレイグの評価は高くなります。

日本でもおなじみのエズラ・ヴォーゲルのサムライ資本主義論については賛否両論ありそうです。伝統的に「日本の指導者は富をシェアしようとする気持ちが強い」と仰るのですが、今日の政治状況をみるに、そのような一般論はかなり怪しくなってきたと思わざるをえません。

経営史を研究しているジェフリー・ジョーンズは、世界最古の企業といわれている金剛組について言及しているのがおもしろい。578年創業の金剛組は神社仏閣の建築を生業としてきました。各宗派の様式を守って建築し補修していくというビジネスモデルは、技術の進化に伴う事業の陳腐化からは免れてきたのです。「老舗」という言葉があるのは日本語だけではないかとジョーンズはいいます。また日本の長寿企業について、国内ビジネスに徹したことが長く存続できた理由の一つにあげています。

ただし率直にいうと、歴史の表層をなぞっただけのような対話も混じっている印象も拭えません。とりわけジョゼフ・ナイへのインタビューなど戦後の日米関係を終始対等な「友好関係」として対話しているのには少し退屈しました。米国側が建前上そのような態度を貫くのは当然かもしれませんが、日本人インタビュアーがそのレベルでの対話に付き従うのは欺瞞というべきでしょう。

サンドラ・サッチャーがブッシュ大統領の真珠湾演説やオバマ大統領の広島での演説を「モラルリーダーシップの模範例」としているのをそのまま鵜呑みにしているのもどかしい。オバマが広島で神妙に被爆者をハグしているすぐ後方には、核兵器発射の暗号を記したブリーフケースを持つ側近が立っていたことは海外のマスコミがふつうに報道した事実です。オバマ時代に核兵器関連の予算は増加したとのデータもあります。つまりオバマの核政策における言行不一致には批判も少なくありませんでした。それでも「模範」というなら、さらにつっこんだ論拠が必要になるでしょう。
それに加えて、相も変わらず米国が世界のリーダー然として振る舞うべきだとするサッチャーの考え方じたいが20世紀的な大国の傲慢を引きずっているように思われます。

このような人たちが日本の歴史の一面に対して理解や共感を示したりするのはありがたいことだと思う反面、エドワード・サイードのいう悪しきオリエンタリズム的な心性を感じないでもありません。一見アジア的なものを称賛しているようにみえて、核心部分においてはみずからの優越感を手放さないような態度です。

それなりにおもしろい本に仕上がっているけれど、全体的にもう少し掘りさげた質問があれば、さらに内容の深い本になったのではないか──というのが偽らざる感想です。 

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