見出し画像

心の深いところまで降りてゆく〜『言葉は選ぶためにある』

◆田中優子著『言葉は選ぶためにある ──江戸から見ると』
出版社:青土社
発売時期:2024年2月

現代日本の世相を江戸時代との比較で論評する。あるいは江戸時代からの連続として現代日本をみる。「江戸から見ると」とはそのような趣旨を表しています。江戸から見ると、日本社会が本当にあらゆる面で「進歩」したのかいささか疑わしくなってくるでしょう。

逆にいえば江戸時代の為政者の世界観や振る舞いから、現代世界のあり方を批判する視点を確保することも時に可能となります。

とりわけ印象に残ったのが、江戸時代の日本を田中が力強く肯定するくだりです。

 ……中国に対抗して拡大主義をとっていた戦国時代の日本が、朝鮮侵略戦争の敗戦を経験して方向転換を成し遂げた。それが江戸時代の日本であった。外国と戦争しない、内戦を回避する、輸入に頼らない。その結果、優れた職人が膨大に出現して、中国やインドの上質な製品に劣らないものを創造するに至り、アジアの織物や陶磁器を超えた。和時計を作り、高度な浮世絵印刷技術を確立した。統一国家を作ったのではなく、多くの藩がその特質のもとに連合していた。(p31)

この「連合」こそが今日の欧州連合に象徴されるような現代世界の基本路線となったもので、そこから今のロシアや中国を「時代遅れの大国主義」と批判するのは一つの見識を示すものであるでしょう。

自著『遊郭と日本人』にからめて吉原に言及したくだりも興味深い。時代がくだるにつれて遊女に集中していた文化は失われていきましたが、町が育ててきた年中行事は独特の発展を遂げてきたといいます。

 ……桜が開花する頃、それを吉原に運び込んで青竹の柵の中に桜並木を作る「花開き」が開催された。引手茶屋に花のれんをかけ、夜はぼんぼりに火をともした。これは大正・昭和でも続いた。盆の季節に画家の描いた絵を引き回した灯籠を立てる灯籠祭りも続いた。秋の吉原俄の祭りも別の形で今も続いている。吉原の文化はその名残を伝えられている。(p35)

今年、東京藝術大学などが主催した『大吉原展』の広報のあり方に関して批判があったように、吉原はむろん人身売買の過酷な現場であり、ジェンダー差別を体現した空間であったことは厳然たる事実です。しかし、人間の文化というものが、そのような場所にも、あるいはそのような場所だからこそ花開き発展したという史実の一面も否定はできません。とまれ文化を理解するとは〈善/悪〉という価値基準だけで切って捨てることのできない、一筋縄ではいかない営みです。ポリティカル・コレクトネスという観点のみから吉原文化を糾弾するだけでは人間という複雑な存在の機微を理解することはできないと考えます。

田中は冒頭の一文で「大きなきらびやかな世界の裏には、それを支える犠牲が必ずある」と指摘したうえで、別の文章では「この町で働いている女性たちが今でもいる」ことに思いを馳せながら淡々と吉原を語っています。その態度はあらゆるジェンダー差別を解消しようとする運動と矛盾しません。

「皆で同じ言葉を発するのではなく、はやり言葉に呑み込まれるのでもなく、言葉の海から、自らの心に沿った一しずくを見つけることを重ねて、心の深いところまで降りて行こう」と田中はまえがきに記しています。歴史を学ぶことの意義をそのフレースが言い表しているのだとも思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?