見出し画像

AI時代の政治を構想する〜『実験の民主主義』

◆宇野重規著『実験の民主主義 トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ』
出版社:中央公論新社
発売時期:2023年10月

政治学者の宇野重規が編集者の若林恵という聞き手を得て民主主義について語ります。19世紀フランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィルの思索を手がかりにこれからの民主主義のビジョンを構想するというコンセプトです。政治史を踏まえながら、インターネットやゲーム、ファンダムの動向に詳しい若林がその方面からヒントを出して議論にアクセントを加えているのが本書の大きな特長です。

トクヴィルがアメリカ大陸に民主主義の可能性を見出したことはよく知られています。フランス革命には失望しましたが、アメリカ独立革命については熱い視線をそそぎ、これから世界的にやってくるだろう大きな趨勢をそこに見たのでした。

彼がアメリカの「平等化」を促したものとして、プロテスタンティズムのほかに印刷や郵便を挙げていたことは不勉強にて知りませんでした。彼の地での印刷・郵便は、現代社会におけるインターネットとも比肩しうる技術的変化だったという議論の展開はなるほど興味深い。それらが民衆の家庭に知や情報をもたらしたのだと。トクヴィルの思考に「メディア論的な視点が含まれていること」を指摘しているのは宇野も自画自賛するように、本書の読みどころの一つでしょう。

後半、若林の関心にそって民主主義を活性化するヒントとして、ゲームやファンダムの世界を論じているのもその分野に関心をもつ読者にはアピールする内容かもしれません。

ただそれにしても積極的に推奨したくなる本とは言い難い。現実政治への言及に乏しく、理念が先行する対話は宇野自身が意図したことではありましょうが、失礼ながらスローガンの羅列というレベルを超えるものではありません。嘘や違法行為が罷り通る日本政治の惨憺たる現状をみるに、いささか浮世離れした議論といえば言い過ぎになるでしょうか。

またここで提起されている政治理念にしても率直にいって凡庸です。

前半では、行政権への主権者の関与の必要性が力説されていますが、その問題は國分功一郎たちがここ数年力説してきたこと。國分がその問題に言及するにあたっては、住民の直接請求による住民投票やファシリテーター付きの住民・行政共同参加ワークショップなど具体的な制度の提案もしていたことを考えると、理念を繰り返すだけの宇野の話は周回遅れという感じがします。

同様にプラグマティズムに可能性を見出す議論にもあまり魅力が感じられませんでした。人々が失敗を含む様々な「経験」をして、それが繰り返されることで「習慣」が形成される。かつて鶴見俊輔はプラグマティズムを「マチガイ主義」と呼びましたが、宇野はそれを「実験」と言い換えます。だが、どうでしょう。日々の暮しに困窮している少なからぬ国民には悠長な議論としか感じられないのではないでしょうか。

プラグマティズムに関連して打ち出されるリテラシーからコンピテンシーへという提言もいささか説教臭い感じがします。推し活やファンダムにみられる良き相互依存のあり方をどのように政治の回路へとつなぐのかという肝心の問題にも一切具体論は出てきません。「実験の民主主義」というけれど、具体的にどのような実験を想定しているのか私にはよくわかりませんでした。

巷では好意的な評価が目立つものの私が納得したレビューは今のところありません。本来ならこのような不満の多い書物をnoteで紹介することはないのですが、そのような状況を鑑みてあえて取り上げた次第です。

【2024.1.31追記】
本書について著者自身がXで以下のように述べています。

高踏な文化芸術について語った本とか他のジャンルなら、そういう物言いもありうるかもしれません。しかし民主主義について述べた自著に関して「わかる人にはわかる」的な上から目線で語るような態度は、それじたいが反民主主義的というべきではないでしょうか。民主主義について語るなら、ウソでも万人に分かるように書いた本として提起すべきです。政治学はいつからそんなに偉くなったのでしょうか。
著者本人の言葉にふれて、ますます本書に対する違和感が強くなりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?