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主体なき国家のなかで生きてゆく〜『新しい戦前』

◆内田樹、白井聡著『新しい戦前 この国の“いま”を読み解く』
出版社:朝日新聞出版
発売時期:2023年8月

内田樹と白井聡の対談集としては『日本戦後史論』『属国民主主義論』につづく三冊目にあたります。対米従属の道を邁進する戦後日本の政治のあり方を憂慮するという問題意識は『日本戦後史論』から一貫しているものです。というわけで、二人の発言や著作に親しんできた読者にとっては、本書に展開される議論にさして新味は感じられないかもしれません。

話題は多岐にわたります。台湾有事と日米安保体制、敵基地攻撃能力の危うさ、大学にはびこる孤立のテクノロジー、暴力の無軌道な撃発……。

そのなかで大阪維新の会の人気を「加速主義」なる概念で分析するくだりは興味深い。「資本主義を暴走させて没落を加速し、資本主義の「外部」へ抜け出る」というアメリカ発の思想をもって維新政治をアイロニカルに論じるのです。現実に維新系の首長が大阪府市を牛耳るようになって以降、大阪の経済指標はなべて低落傾向を示しています。公立病院や保健所の統廃合をどこよりも積極的に進めた結果、コロナ禍では最多の死者を出したことは維新行政の失敗を如実に物語っているといえるでしょう。にも関わらず維新人気は翳る気配がないのはどうしてでしょうか。

内田はいいます。
「日本社会がこのまま衰退していった場合にどういう末期的な風景が展開するか、それを早送りで見たいという好奇心が維新の政治をドライブしているという解釈はあり得ると思います」。

もっとも維新を支持する大阪府民にそのような自覚はないでしょう。白井も内田の発言を受けて「大阪の加速主義は多分に無意識的なものに感じます」と述べています。

日本の政治を俯瞰的にみれば、私たちは絶望的にならざるをえません。しかし本書には楽天的な気配も同時にただよっています。絶望的な状況をより鮮明に言語化することでその流れに歯止めをかけるというのは、従来から言われてきた言論人の役割には違いありません。そして個々の立場で為しうるささやかなアクションに両者ともにそれなりの矜持をもっていることもうかがえます。

「空間に人々が集い、寛ぎと自己鍛錬のなかで共生の作法が学ばれ、成熟する。そうした豊かな空間をつくり直すところにしか、いま希望は見出だせないのではないか」と白井は冒頭で言明しています。そのような認識が本書の底流を貫いているのです。

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