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他者との共存の作法を探る原理として〜『プロテスタンティズム』

◆深井智朗著『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』
出版社:中央公論新社
発売時期:2017年3月

禁欲を旨とするはずのプロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神に適合していたという逆説はマックス・ウェーバーの有名なテーゼです。しかしその命題を知ってはいても、ではプロテスタンティズムの倫理とは具体的にどういうものかとあらためて問われて、きちんと答えられる日本人はそれほどいないのではないでしょうか。そもそもプロテスタンティズムについて私たちはどれほどのことを知っているでしょうか。

プロテスタンティズムと一口にいってもその言葉が包含する内容は広範で多岐にわたります。ここでは「いわゆる宗教改革と呼ばれた一連の出来事、あるいは1517年のルターの行動によってはじまったとされる潮流が生み出した、その後のあらゆる歴史的影響力の総称」を指します。結果としてそれはナショナリズム、保守主義、ルベラリズム……などなど実に多様な相貌をもつことになりました。本書はそのようなプロテスタンティズムについて新書にふさわしいスタイルで簡明に概説したものです。

宗教改革の前史から始まって、ルターが行ったことを跡づけ、ルター以後に出現したカルヴィニズムや洗礼主義を解説する。さらにドイツの歴史をサンプルに保守主義としてのプロテスタンティズムを論じ、リベラリズムを軸とするプロテスタンティズムの流れをたどる。……というのが本書のあらましです。

いうまでもなくプロテスタンティズムとは先に紹介したようにマルティン・ルターが創始した宗派というわけではありません。ルターは1517年に「95ヵ条の提題」を発表しましたが、それは議論のための一つの問題提起というほどのものでした。とくに彼が問題視したのは贖宥状(免罪符)の販売でした。贖宥状とは罪の償いが免除されるとして教会が発行した証書で、それが売り買いの対象になっていることに疑義を呈したのです。

ルターが考えていたのは教会のリフォームであり、そのための討論を呼びかけた。その提題をただちに大衆が正確に理解し、社会に衝撃を与えたわけではないし、通常ある特定の神学のテクストが突然社会を揺るがすようなことはあり得ない。もちろん知識人のネットワークなどは刺激を受け、動きはじめるかもしれないが、影響はあくまで限定的であろう。(p44)

しかし時とともにルターの行動の影響は大きくなっていきました。もともと当時のヨーロッパは宗教的のみならず政治的にも経済的にも制度疲労をおこしていた時期にあたります。キリスト教が堕落していると考える人はほかにも少なからずいました。活版印刷が発明されたこともルターが重視した聖書の普及に力となりました。ルターの行動は、そのような改革の機運が芽生えていたところに「時代の転換のスイッチを押す機会」をとらえたものといえましょうか。それが宗教改革と呼ばれる一連の潮流を生み出すきっかけとなったのです。

プロテスタントは当初カトリックとの戦いでしたが、改革勢力同士の戦いもやがて始まります。改革を主張していた人々が政治勢力と結びついて安定した地位を得ると、よりラディカルな改革を求める人々との間に対立が生まれたのです。「改革の改革」を主張したものとして本書では洗礼主義の運動やスピリチュアリスムスなどをあげています。

こうした「二つの二つのプロテスタンティズム」という認識については、深井は神学者エルンスト・トレルチを参照して念入りに紹介しています。すなわち、宗教改革の時代のプロテスタンティズムを古プロテスタンティズムとし、そのあとに出てきた「改革の改革」者たちの活動を新プロテスタンティズムと呼んだのです。
古プロテスタンティズムが国家や一つの政治的支配制度の権力者による宗教市場の独占状態を前提しているのに対して、新プロテスタンティズムは宗教の自由化を前提としているのが大きな違いだといいます。

……新プロテスタンティズムの教会は、社会システムの改革者であり、世界にこれまでとは違った教会の制度だけでなく、社会の仕組みも持ち込むことになった。それは市場における自由な競争というセンスである。その意味では新プロテスタンティズムの人々は、宗教の市場を民営化、自由化した人々であった。(p117)

興味深いのは、古プロテスタンティズムはその後ドイツにおけるナショナリズムや保守主義と結びついていき、新プロテスタンティズムの方はアメリカ大陸においてリベラリズムとの親和性を高めていくことです。

1871年のプロイセン主導によるドイツ統一の時代に入ると、ルター研究の復興がわきおこります。これは「決して純粋に神学的な関心によるものではなく、むしろ国策とそれに呼応した世論の興隆によるものであった」らしい。

……そこで政治的に再発見されたルターの宗教改革は、近代的なヨーロッパの起源であり、近代的自由の思想の出発点であり、ドイツ精神の源流とされたのである。これを「政治的ルター・ルネッサンス」と呼ぶことができるであろう。(p132)

ルターの思想はナチスにも利用されました。ルター派の方も「不遇なヴァイマール期をナチスが終わらせてくれるのではないかという期待を持った可能性がある」と指摘しています。

一方、アメリカ大陸にわたったピューリタンたちのプロテスタンティズムは、彼の地でリベラリズムの担い手となりました。新プロテスタンティズムは、国家による宗教の統制に対し、個人の自由な信仰や決定を重んじました。そうした彼らの言動はアメリカにおけるリベラリズムを支えるものとなったのです。

ちなみに日本に到来したプロテスタンティズムは基本的には新プロテスタンティズムといえるものです。戦後の日本社会にもその影響は少なからず影を落としています。

……戦後の日本社会は、本書で見たような新プロテスタンティズムの深層構造を持ったアメリカ社会の影響を排除して成立する社会ではない。経済、政治、文化、学問、どれをとってもそれがよいか悪いかは別としてアメリカの大きな影響のもとにある。そうであるなら、異質で、無関係とも思えるプロテスタンティズムの歴史とその精神を知っていることは、この影響をより正確に理解するのに有用かもしれない。(p199)

ルターの出来事に始まった、異なる宗派の並存状態やそれゆえに起こる対立や紛争のなかで、プロテスタンティズムは次の問題を考えざるを得なくなりました。つまり「どのようにすれば、異なった宗派や分裂してしまった宗教が争うことなく共存できるのかという問題」です。その問題と取り組んできたことこそがプロテスタンティズムの歴史であるというわけです。

そうして深井は結論的に述べます。「プロテスタンティズムが現代の社会に対して貢献できることの一つは共存の作法の提示であろう」と。その意味では、世界のあちらこちらで差別やレイシズムがあらためて顕在化しつつある昨今、本書を読むことの意義はいっそう切実さを増しているといえるかもしれません。

初学者が読んでもわかりやすい明快な記述は、著者自身もあとがきで触れているように大胆な簡略化のなせるわざで注意が必要かもしれませんが、入門書とは概してそういうものでしょう。また洗礼主義といった聞き慣れない用語の使用に対して一部専門家からは批判もあるようです。いずれにせよ書物に賛否両論あるのは当然のことで、プロテスタンティズムの入門書として読んで損はない一冊だろうと思います。

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