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大切なものはお金に換えてはいけない〜『人間の経済』

◆宇沢弘文著『人間の経済』
出版社:新潮社
発売時期:2017年4月

宇沢弘文は人間と経済のあるべき関係を追求し続けた経済学者として知られます。その倫理的な学識のありようは素人の私が言うのは不遜かもしれませんが、経済哲学とでも呼びたいほどです。本書は2014年に他界した宇沢晩年のインタビューや講演録をまとめたもの。当然ながら平易な語り口で、宇沢の学識に触れたことのない読者にも理解しやすい作りになっています。

宇沢は旧制一高時代は医学部志望クラスに在籍していましたが、東大理学部数学科に進み代数的整数論や数学基礎論を学びました。しかし数学にも「貴族趣味」のようなものを感じて、悩んだあげくに経済学に転じたという経歴をもちます。「医学が人間の病を癒す学問であるとすれば、経済学は社会の病を癒す学問であると自分に言い聞かせて、経済学の道に移りました」と当時の心境を回顧するくだりはとりわけ印象深い。

その言葉どおり、本書における発言もまた社会の歪みや疲弊に対する警鐘的な色合いの濃いものになっています。そこでベースになるのは自身が提唱した「社会的共通資本」という概念です。宇沢の名が一般の読書人にも広く知られるようになったのは、おそらくこの概念の創出によるところが大きいでしょう。

本書では厳密に定義している文章は出てきませんが、そのものズバリの著作『社会的共通資本』(岩波新書)には「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」と規定されています。

こうした社会的装置として、宇沢はおもに自然環境(大気・森林・河川など)、社会的インフラ(道路・交通機関・上下水道・電力など)、制度資本(教育・医療・司法など)の三類型を考えました。注目すべきは農村のような存在もそれを単なる農家の集合体としてのみ考えず、社会的共通資本として捉えている点です。

社会的共通資本を維持していくためには「それぞれの職業的専門家が職業的なdiscipline(規範)にもとづいて、そして社会のすべての人たちが幸福になれることを願って、職業的な営為に従事すること」が求められます。しかし周知のように戦後世界は必ずしもそのような形で運営されてきたわけではありません。医療や教育など社会的共通資本をも市場原理に組み込もうとする新自由主義的な傾向が強まるにつれて、しばしばそれらは毀損されていったことは宇沢のみならず多くの論者が指摘しているところです。とりわけ日本の場合には、中曽根政権以降、米国からの要求によって莫大な公共投資が実施されましたが、それらがもたらしたのは、地域の医療、経済、社会、自然環境の破壊です。

そうした経緯を語るときには、おのずと先に記したように社会の病を診断する医師の態度にも似たようなものになってきます。宇沢は言います。「大切なものは決してお金に換えてはいけない」と。
またジョン・ラスキンの言葉 “There is no wealth, but life” を意訳した「富を求めるのは、道を聞くためである」というフレーズを「経済学を学ぶときの基本姿勢として、これまでずっと大事にしてきました」と結びで述べています。それは露骨に「富を求める」ことを第一義に考えるエコノミストや政治家が目立つようになった現代にあってはますます切実な意義をもちはじめた認識ともいえるでしょう。

農村礼賛や新自由主義批判にステレオタイプの表現が散見されるとはいえ、公害や成田闘争など社会的な運動にも関与した宇沢の識見には体制に対する反骨心や温かな息吹を感じとることができるのも確かです。それは近頃の凡百の経済学者からは感受しがたいものです。昭和天皇やヨハネ・パウロ二世と面会した時のエピソードなども興味深く読みました。

「人間の経済」を重視した宇沢流国富論は、公正や平等を重視する近代リベラリズムと共同体に根ざした公共的価値を受け継ぎ次代に伝えることを本旨とする正統的な保守思想の交差するところに位置づけられるのではないかと思います。つまり多くの人々によって共有することが可能な考え方ではないでしょうか。

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