見出し画像

社会的弱者を排除し続ける社会〜『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』

◆森達也編著『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか? 知らぬ間に忍び寄る排除と差別の構造』
出版社:論創社
発売時期:2023年11月

まずは編著者・森達也の言葉を引きましょう。

 ……二一世紀の世界は集団化の時代を迎えている。だから強硬な政治リーダーが支持される。号令がほしくなる。集団に馴染まない少数者は異物として排除したくなる。
 でも仕切り入りベンチを筆頭に排除アートを見かける頻度については、(二〇〇一年以降に他国の街を歩くときは意識して観察しているが)日本は圧倒的だ。ところが日本の多くの人にその自覚はない。(p247)

本書では、そのような観点から11人の論者がそれぞれの専門性を活かして、日本社会の閉鎖性や排他性をあぶり出し、それを正そうとする論考を寄せています。

雨宮処凛は「見たいものしか見たくない、見たくないものはどこか人の目につかないところに隠しておいてほしい、というマジョリティ側の欲望」を現代社会のあり方に見いだします。ホームレス、外国人、病気や障害がある人、貧しい人……片隅に追いやられる人は様々ですが、「そんな社会は、いつあなたが排除の対象にされるかわからない世界」なのです。

社会福祉士として生活困窮者の生活相談を担当している今岡直之は、生活困窮者の「包摂」それ自体を問題にしています。「不安定で低賃金の非正規雇用や、過重労働で若者を使い潰す「ブラック企業」が問題となっている中で、生活困窮者を労働市場に戻そうとすることは問題含み」なのだと。賃労働・家族・福祉による生活保障システムが機能しなくなった今、むしろそこからはみ出し、適応しない人々を解放していく実践が必要だというわけです。

武田砂鉄の東京五輪をめぐる論考も秀逸。限られた人たちの利益を追求するだけのイベント=五輪によって立ち退きを余儀なくされた高齢者の例を引きながら「こんなにもわかりやすい排除の構図を許してしまった」ことを指摘して鋭い。大手メディアの多くが五輪のスポンサーになり、もっぱら翼賛報道に終始したなかで、五輪の暗部をえぐり出した武田の仕事は貴重といえるでしょう。

日本ではベンチを作るメーカーは、誰かを排除する目的の設計を前向きな言葉にすり替えている、という田中元子の指摘は本書の趣旨に最も沿ったものです。田中は「一階づくりはまちづくり」をモットーに、街中にベンチを増やす活動だけでなくベンチの共同開発などにも携わっています。

医療ジャーナリストの福原麻希は、日本のインクルーシブ教育システムは障害者権利条約には沿っていないことを指摘しています。文科省が掲げる方針は、障害を個人の問題としてとらえ、専門職種から個別指導を受けることで能力向上を目指していくものですが、これは障害者権利条約に定める「障害に基づくあらゆる区別・排除・制限は差別」に該当します。国際標準からみれば文科省自身が差別に加担しているという実態は衝撃的というほかありません。

というわけで、本書を読むと、いささか絶望的な気分にならざるをえないのですが、社会を変えていくことは、毎度言うように現状を知ることからしか始まりません。私たちは社会的弱者のみならず他者(の境遇)についてあまりにも知らないことが多すぎると改めて感じた次第です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?