世間に同調しないための〜『ひとりあそびの教科書』
◆宇野常寛著『ひとりあそびの教科書』
出版社:河出書房新社
発売時期:2023年4月
グローバリゼーションとコンピューターの融合で、人とつながることの大切さを説く声がしきりに聞こえてきます。しかしこれからの世界でもっとも大事になるものは、ひとりひとりの「想像力」だと宇野常寛はいいます。
日本の大人たちが使う「世間」なる言葉にも懐疑の目を向けます。それは個々人が所属している狭い人間関係のことでしかない、と。ゆえに世間の評価など気にするには及ばない。「想像力」を磨くにはひとりあそびが一番。それが本書の基本認識です。
とはいえ、ここで紹介される「ひとりあそび」はありふれたものばかりです。街を走る。生き物に触れる。ひとりで旅に出る。ものをたくさん集める……。そのようなひとりあそびを楽しむための指南だけなら、私がこの本を取り上げることはなかったでしょう。
私がおもしろいと感じたのは、後半で、本を読んだり映画やドラマなどの映像を観ることをすすめるくだり。むろんそのようなあそびもまたごく一般的なものですが、それに対する宇野の考え方は一般的な通念と趣を異にしているのです。
本や映画に描かれた「他人の物語」に触れること。これは「共感」することとは違います。「共感できることなら、自分で体験したほうがいいと思うから」。では宇野が「他人の物語」を重んじるのはなぜでしょうか。
「共感」できない「他人の物語」に侵入されたときこそ、人間は決定的に変わる。そのおもしろさ、気持ち良さを知っておくと世の中で退屈することはほとんどなくなるはずと宇野はいうのです。その意味では、ひとりひとりの想像力の錬磨にはやはり他人と遭遇するという契機は外せないということなのでしょう。
そういえば、社会学者の宮台真司もアートの本質について「人を傷つけること」を挙げていました。人類の文化史的な観点から振り返れば、社会の中に「不条理」があることを認識させるのはアートの役割であり、そのことを体感することによって人は深く傷つくのだ、と。宮台はあえて過激な表現を使っていますが、本書の認識もそのようなアート観と重なるところがあるように思われます。
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