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粘菌、華厳経、レンマ〜『熊楠の星の時間』

◆中沢新一著『熊楠の星の時間』
出版社:講談社
発売時期:2016年5月

南方熊楠といえば、私などはまず粘菌の研究者ということを想起しますが、それ以外にも様々な顔をもつ多能にして特異な人物であったことは周知の事実です。熊楠は、仏教について、科学について、生と死について、自由自在に思考をめぐらせました。中沢新一はそのような熊楠の思想に「封をされたままの未来への贈り物」を見ます。

熊楠の思想的創造に大きく寄与した生きた哲学的概念としての粘菌。その粘菌と概念として同一構造を持つレンマの法則。そのレンマの法則に基いて巨大な宇宙を構築した華厳経。本書ではそれらの連関が中沢らしい奔放な語り口で概説されていきます。

中沢によれば、南方熊楠は西洋で発達したキリスト教神学や西欧哲学とも近代科学とも異なる、東洋的な思想の土台に立つ「未知の学問」を構想しました。そのさい彼がモデルに考えていたのが華厳仏教です。

ヨーロッパの学問は「ロゴス」に基づきます。ロゴスは、世界に現象する事物を集めて並べて整理する。「言葉で言う」とはその謂です。対する華厳仏教では「レンマ」がもとになります。「手でつかむ」「把握する」などという語源から生まれた概念です。ロゴスの土台になっている同一律、矛盾律、排中律の三つの法則を否定して、あくまで世界の事物を直観でとらえようとするところに特質があります。結論的にいえば、熊楠は近代科学と華厳思想を「相即相入」させることによって「レンマによる科学」を打ちたてようと企てたというのです。

南方熊楠はアクティビストでもありました。彼はエコロジーの先駆者ともみなすことができますが、政治的課題としての環境問題だけでなく、人間の心の根底にある「自然」の問題にも深く関わっていました。熊楠が人生の一時期を費やして取り組んだ「神社合祀反対運動」もまたそのようなアクティビストとしての面目躍如たるものがあります。神社合祀は何よりも森林破壊をもたらしたのですから。

南方熊楠はアブ=ノーマルな人でありました。異常な記憶力、類例もない特異な文章法や思考法、その奇行など、そこに知人たちが何らかの「症候」を感じたとしても無理からぬことであったでしょう。中沢は熊楠の「症候」=シントムを思考します。このくだりは本書のなかでもとりわけ難解ですが、熊楠の並外れた言動の特異性の一端を感じ取ることはできたように思います。

二つの「自然」をとおして、フランスの人類学者フィリップ・デスコラと熊楠との類似を考察する一文もおもしろいし、日本サンゴ礁学会での講演で、野生の科学に関して述べているのも一興。熊楠もまた「野生の科学」を志向した人でありました。

本書は熊楠に関連した五つの講演記録をもとにした文章を収めたものです。全体をとおして、南方熊楠について知り学ぶことの今日的意義が説かれているわけですが、話がやや抽象的に傾いている印象もあり、私には理解しがたい箇所が少なからずあったことは否定しません。しかしかねてから熊楠の思想を紹介してきた中沢ならではの情熱的な語りには何かしら惹かれるところがあったことも確かです。

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