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世界の下部構造としての〜『感情の民俗学』

◆畑中章宏著『感情の民俗学 泣くことと笑うことの正体を求めて』
出版社:イースト・プレス
発売時期:2023年9月

泣く笑うといった一見素朴な感情の表出であっても、その内実は歴史的に変遷を遂げてきました。また民俗的にも相違が見られます。すなわち感情は人間の内側から生まれてくるだけではありません。当たり前の認識ですが、先行研究を引用しつつ今日の社会事象をも俎上に載せた本書の議論はなかなか興味深いものがあります。感情は人間という存在の謎に迫る上でも鍵となる概念といえましょう。

 感情が私たちの外側に左右されることはいうまでもありませんが、泣いたり、笑ったり、怒ったりすることが、私たちの主体的な意思によってなされているわけではない。私たちを取りまく時代や環境、私たちが生きる民俗によって制約を受け、また時代や環境に向けて感情を表しているとは考えられないでしょうか。(p13)

こうして感情の歴史学・民俗学の旅へと赴いていきます。当然ながら先人たちの仕事を参照することが本書の基本となります。

安田登、阿部謹也、柳田国男、ラフカディオ・ハーン、寺田寅彦、樋口和憲、九鬼周造、小松和彦、ミシェル・フーコー、宮本常一、橋川文三、折口信夫……。

九鬼周造の「いき」をコミュニケーション論として読んでみたり、フーコーが再評価を試みたパレーシアを冷笑と対比させてみたり。漫画『天才バカボン』のバカボンのパパの不条理なセリフ「忘れようとしても思いだせない」と、みずから提起した「景観認知症」とを重ね合わせ、記憶をめぐる名状しがたい感情について「古くて新しくて、新しくて古い民俗的感情」と指摘しているのも一興。感情Aと感情Bが擬人的に対話する〈幕間〉を挟んでいるのも趣向としては悪くありません。

全体をとおして先行研究のパッチワークとの印象なきにしもあらずですが、引用のしかたにはなるほど一つの芸を感じさせることは確かです。

ただ物足りない点もあります。昨今、行動経済学や社会心理学などの分野では、理性は感情をコントロールするどころか、理性は感情の奴隷であることを示す研究報告が提起されています。逆にいえば感情の再評価がすすみ、理性よりも感情を重視する主張が主流になってきました。その意味では、感情をめぐる最新研究については民俗学だけではカバーしきれない憾みが残ります。

さまざまなイデオロギーに束縛されている現代にあって、著者は後半部で「推し」のような「ゆるやかな感情をもとにしたつながり」などに感情の可能性を見出しているのですが、そのような抽象的なまとめ方には今一つ共感できませんでした。

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