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未来は常に過去を変えている~『マチネの終わりに』

◆平野啓一郎著『マチネの終わりに』
出版社:毎日新聞出版
発売時期:2016年4月

記念すべき投稿第一号は平野啓一郎の『マチネの終わりに』について記すことにしましょう。2016年に刊行された小説のなかでは、奥泉光の『ビビビ・ビ・バップ』とマイベストワンを争う読み応えでした。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです」──これは本作の主人公が作中で発する言葉。
未来が過去を変える。最近では社会学者の大澤真幸が力説しているテーゼでもありますが、文芸作品のすがたを借りて投げかけられるといっそう味わい深いものとなります。過去の出来事はその後の出来事によって更新されることもあれば意味内容も変わりうる。それは一種の音楽論としても主人公の口をとおして語られるのですが、さらに敷衍するなら人間の生にまつわる一つの真理ともいえるのではないでしょうか。

天才的ギタリスト蒔野聡史とフランスの通信社に勤めるジャーナリストの小峰洋子。これは二人の恋愛の物語。彼らが出逢ったのは、蒔野が三十八歳、洋子が四十歳という「一種、独特の繊細な不安な年齢に差し掛かっていた」とき。思慮深い大人のあいだに芽生えたロマンスであり、同時にそのことによってすれ違いも生み出されます。かくして二人の恋愛ははしなくも劇的なドラマ性を帯びていく……。

ところで、夏目漱石の短編に《琴のそら音》という作品があります。ふとした成り行きから主人公がインフルエンザに罹った許嫁の身を案じて悶々とした一夜を過ごし、早朝急いで彼女のもとに様子をうかがいに行くという話です。それは通信機器が普及した今日では到底成立しない筋立てでしょう。
対して本作では、二人の間を取りもつ(ゆえにすれ違いの原因ともなる)ツールとしてメールの存在が大きな要素となっていて、漱石の時代にはまったく想像できない物語の構造を有しています。あたりまえの話ではあるけれど、今さらながらにテクノロジーの進展が文学テクストの構築に与える影響の大きさを実感せずにはいられません。

それはそれとして、本作ではアメリカのイラク侵攻や日本での大震災と原発事故など、世界を揺るがした時事的な問題も随所に織り込まれており、それに対する登場人物たちの態度の相違はそのまま複雑な国際社会の縮図的な様相を呈しています。つまり本作は単なる恋愛小説というワクには収まりきらない社会的な射程の広さを有してもいるといえます。

天才音楽家の葛藤。テロリズムに巻き込まれた女性ジャーナリストの精神的苦悩。それらが綾なす二人の愛のゆくえは? 二人のロマンスに希望の灯がともる時はやってくるのか。未来は二人の過去をどのように塗りかえることができるでしょうか──?

傑作と言い切ってしまっていいのかどうかわかりませんが、正直、余韻嫋嫋たるラストシーンには不覚にもウルウルきそうになりました。今どきこんな純愛小説に心動かされるとは!

蛇足ながら本作を映画化するなら、『マディソン郡の橋』という実績(笑)を持つクリント・イーストウッドに撮ってもらいたいと思う。

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