「奴隷意識」の称揚に励む大学と放送局の愚について

都内のある私立大学は、就職内定者を対象に昨年から「正しい叱られ方」を学ぶ講座を開いているそうです。最近、NHKが番組で紹介したことからネット上でも議論を呼んでいます。

そのような講座を開いている大学、それを無批判に紹介している放送局に対して、私は違和感を禁じえません。

なるほど昨今の若者は、小さい頃から「叱られる」体験に乏しく、打たれ弱い傾向にあることはしばしば指摘されてきました。教員をしている私の友人知人も、口を揃えて「生徒を叱るのが難しくなってきている」と言います。ちょっとした注意でも、まるで全人格を否定されたと思い込み、ひどい時には登校してこなくなるケースもあるというのです。それはそれで問題ですが、逆にいえば卒業前の付け焼き刃の講習で何とかなるようなものではないでしょう。

「正しい叱られ方」教室を開催している大人に根本的に欠落しているのは、「大人が若者を叱る時、叱る側が常に正しいとは限らない」という当たり前の事実認識です。当のNHKだって法律に違反した悪徳企業のニュースを日常的に報じてきたはず。経営者が労働者を違法に酷使することは残念ながら日本では日常茶飯事といってもいいくらいです。そのような社会に学生を送り出そうとする時に「正しい叱られ方」をわざわざ教育するのは悪い冗談としか思えません。

今の若年層に必要なのは「正しい叱られ方」の会得以上に、職場で理不尽な処遇にあった時にいかに対抗するかという労働者がもつべき矜持や法律的知識ではないでしょうか。上司から違法な要求があった時、その違法性を認識できないがために黙って従うしかない、というケースが多いのではないかと思います。もちろん業務命令の違法性を認識していても、職場の空気が上司の指示に逆らうことを困難にしている場合もあるかもしれません。それならばなおのこと、そういう職場ではどういう対処の仕方があるのか、という問題も教える必要があるでしょう。

千葉雅也は『勉強の哲学』において、勉強することの意義を原理的に考察しています。勉強とは単に社会に順応して生きていくためのスキルや知識を身につけることにとどまりません。社会のなかで「浮く」ことも辞さない個人としての可能性を追求することもまた勉強の大切な要素であることを軽やかに説いているのです。

なるほど「叱られ方」が上手になることで労働者としてのストレスを軽減することは可能になるかもしれません。しかしそれははっきりいって産業資本主義の奴隷としての処世術が巧みになったというに過ぎません。高等教育に期待される役割の重要な側面を取り逃がしているという点で、「叱られ方」教室を開いている大学は批判されるべきではないかと考えます。それを無邪気に紹介している放送局も罪作りに加担していると知るべきでしょう。VTRを受けてNHKの解説委員が「入社してすぐに辞めるのは勿体ない」などと粗雑な一般論でまとめているのは噴飯モノです。

日本に蔓延しつつある奴隷的な思考や文化に一方的に順応するのではなく、自尊心を高めながら自己の可能性を大きく拓いていく「勉強」こそが、私たちの人生をより豊かに愉しくしてくれるのです。

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