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人を縛るもの? 人を解放するもの? 〜『事務に踊る人々』

◆阿部公彦著『事務に踊る人々』
出版社:講談社
発売時期:2023年9月

現代社会では事務は嫌悪されています。「事務的な顔」「事務的な態度」「事務的な調子」などなど、事務的と形容されるものは一般的に好ましくない意味を醸し出します。とはいえ事務がそれほど好ましくないものならば、これほど人類社会に浸透することはなかったはず。事務のおかげで私たちは快適に暮らしているのではないか。事務は人類の知恵というべきではないのか。

人類と事務の間にいったい何があったのか。この着眼が秀逸です。英文学研究者である阿部公彦は「事務」をキーワードにして古今東西の文学テクストを読み解いていきます。

俎上に載せられる文学テクストは多岐にわたります。夏目漱石や西村賢太、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』、小川洋子『ブラフマンの埋葬』、ディケンズ『荒涼館』、メルヴィル『書記バートルビー』……。加えて蓮實重彦の映画批評や三島由紀夫の『文章読本』なども参照されます。

さらに、東京証券取引所の誤発注事案や鉄道や道路、パソコンソフトのエクセルなど、事務にまつわる事象やツールに関する考察を盛り込んで社会文化論的な要素をも加味しているのがミソ。単なる文芸批評の平板な読み味とは一味も二味も異なることは言っておかなければなりません。

事務処理化が進んだ現代社会は「注意の規範」を生み出しました。あるいは「注意の規範化」が人間活動の事務処理化を支えてきました。事務が要求する細かな形式の束縛に現代人は面倒くささを感じています。それは新しい病をもたらしましたが、同時に人々を魅了するようにもなったのです。

 事務文書と対立すると考えられがちな文学作品だが、文学の言葉は事務と深く結び付くことで機能を発揮してきた。事務をめぐる探究は「文学とは何か」という問いにつながるものなのである。(p4〜5)

事務作業が武力にとってかわった画期をフランス革命に見出す記述には文字どおり蒙を啓かれる思いがしますし、事務の本領が遺産相続や家系など死にまつわる記録の扱いで発揮されるとする指摘も興味深い。官僚一家に生まれた三島由紀夫の生い立ちを踏まえて作品から「事務的思考」を取り出した後に、三島の最期を事務支配と関連づけて論じる手並みにも感服しました。
事務を介した本書の読解によって、古今東西の文学が新たな表情をもって浮かび上がってきます。事務に踊る人々とは文学に踊る人々でもあるのです。

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