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主体的でも自発的でもなく〜『憲法の無意識』

◆柄谷行人著『憲法の無意識』
出版社:岩波書店
発売時期:2016年4月

日本国憲法九条にはいくつもの謎があると柄谷行人はいいます。世界史的に異例のこのような条項が日本の憲法にあるのはなぜか。それがあるにもかかわらず、実行されていないのはなぜか。実行しないのであれば、普通は憲法を変えるはずだが九条がまだ残されているのはなぜか。
……本書ではそれらの問題を考察していきます。この問いの立て方にまず柄谷の非凡さがにじみでていると思いますが、何より独創的なのは最後の問いに対する答えです。

憲法九条が執拗に残ってきたのは、それを人々が意識的に守ってきたからではありません。そうであれば、とうに消えていたでしょう。人間の意志などは、気まぐれで脆弱なものだからです。九条はむしろ「無意識」の問題なのです。(p5)

柄谷はフロイトを参照しながら憲法九条にまつわる「無意識」に迫っていきます。フロイトは述べています。「人は通常、倫理的な要求が最初にあり、欲動の断念がその結果として生まれると考えがちである。しかしそれでは、倫理性の由来が不明なままである。実際にはその反対に進行するように思われる。最初の欲動の断念は、外部の力によって強制されたものであり、欲動の断念が初めて倫理性を生み出し、これが良心というかたちで表現され、欲動の断念をさらに求めるのである」と。

フロイトのこの考えは一般読者には必ずしも理解しやすいものではありません。が、日本と戦後憲法の関係を考える柄谷の理路に導かれたときに、ある種納得しうるものになります。すなわち憲法九条が外部の力、占領軍の指令によって生まれたにもかかわらず日本人の無意識に深く定着した過程を見事に説明するものだと柄谷は考えました。「先ず外部の力による戦争(攻撃性)の断念があり、それが良心(超自我)を生みだし、さらに、それが戦争の断念をいっそう求めることになったのです」。

憲法九条は自発的な意志によってできたのではない、外部からの押しつけによるものである、しかしだからこそ、それはその後に、深く定着した。それは、もし人々の「意識」あるいは「自由意思」によるのであれば成立しなかったし、たとえ成立してもとうに廃棄されていただろう。
「無意識」によって九条は守られてきた、と柄谷がいうのはそうした意味においてです。憲法九条に関する柄谷の思考にあっては、主体的とか自発的という概念は信用に値しません。

むろん、以上の要約はかなり大雑把なものです。ちなみに付け加えれば、柄谷が「無意識」を鍵概念にして議論を展開するにあたっては、建築史家の中谷礼仁が提起した「先行形態」という概念をフロイトと結びつけて引用している点は注目に値します。こうした領域横断的な思考スタイルにこそ柄谷の特質がよくあらわれているといえるでしょう。

贈与としての平和論

また後半では、カントの平和論以降の世界史の系譜に日本国憲法を位置づけるだけでなく、徳川時代における天皇制の考察、新自由主義と戦争との関連など、九条無意識論を補強するような検討が加えられています。九条の理念の有効性を「贈与」なる概念でサポートしようとするのは『帝国の構造』で打ち出した考え方を踏襲するものです。

本書は2006年から2015年の間に柄谷が行なった講演の記録をもとに書籍化されました。フロイトを援用しながら思想的に憲法を捉えようとする柄谷の議論は、杓子定規な政治学者や法学者からは反発がありそうですが、あらかじめ予想されるその種の言説には正直、私には興味はありません。本書は柄谷の思想がコンパクトにまとめられたスリリングな本であるといっておきましょう。

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