フェイクニュースを科学する_Fotor

計算社会科学で情報化社会を読み解く〜『フェイクニュースを科学する』

◆笹原和俊著『フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ』
出版社:化学同人
発売時期:2018年12月

フェイクニュースが政治を大きく動かす時代がやってきました。2016年の英国のEU離脱に関する国民投票や米国大統領選挙では、人々を惑わす虚偽情報がインターネットを中心に大規模に拡散し、大きな社会問題になったのは記憶に新しいところです。フェイクニュースの流通は確信犯的なものから不注意の連鎖によって引き起こされるものまで多様多様ですが、以前にもまして情報の真偽を判断することの難しい時代になったことは確かです。

フェイクニュースを科学する。本書にいう科学とは計算社会科学を指します。マイケル・メイシーの定義によれば「コンピュータが可能にする人間行動と社会的相互作用」に関する新しい学際科学です。

当然ここで取り扱うフェイクニュースも「ニュースの内容や伝達の問題としてだけでなく、情報の生産者と消費者がデジタルテクノロジーによってさまざまな利害関係の中で複雑につながりあったネットワークの問題」として考察していくことになります。

偽ニュースの拡散に関わるものとして、まず人間の認知特性をみていきます。人間には「認知の癖」があります。認知バイアスにはよく知られているものだけでも200以上の種類があるらしい。本書ではそれを四つに分類しています。

多すぎる情報に何とか対処しようとするための癖である「情報過多タイプ」。データから何か意味のあるものをつくる「意味不足タイプ」。有限の時間の中で迅速に判断し行動するための「時間不足タイプ」。重要な情報を優先的に記憶する「記憶容量不足タイプ」。

それらの癖が状況によっては偽ニュースの拡散を引こ起こす原因となるわけです。たとえば情報過多タイプの典型的なものとして「バックファイアー効果」があります。自分の世界観に合わない情報に出会ったとき、それを無視するだけでなく、自分の世界観にさらに固執するようになる効果のことです。これは実験的にも確認されているものだといいます。

偽ニュースを信じるのは誤解や知識不足のせいなので真実を伝えれば問題が解決すると我々は思いがちです。しかし何かを深く信じる人々に対して真実を伝えてもかえって逆効果になる可能性があるのです。この事実は知っておいて損はないでしょう。

次に情報環境の面から考えます。端的にいえば昨今ではソーシャルメディアなどのデジタルテクノロジーが人間の認知の癖を増幅することで、偽ニュースが拡散しやすい情報環境を生み出しています。

その実例として「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」といった現象が挙げられています。前者はソーシャルメディアなどで自分と似た興味関心をもつユーザとつながるために、同じようなニュースや論評ばかりが流通する閉じた情報環境になりやすい状況を指したもの。後者はユーザの個人情報を学習したアルゴリズムによって、その人にとって興味がありそうな情報ばかりがやってくるような情報環境をいいます。

また情報は増加の一途をたどっているのに対して、人間の記憶容量や認知能力は依然として有限のままです。このような世界では「情報オーバーロード」の問題が生じます。情報過多によって入力が人間の認知能力の許容量を超えてしまい、物事を正しく判断して適切な意思決定をすることが著しく困難になるわけです。

元来、人間に備わっている認知バイアスに対して、それを増幅するような情報環境が形成されることで、情報の真偽の判断がいっそう歪められやすくなってきている。これが現代の状況です。

では、フェイクニュース対策としては具体的にどういうことが考えられ、行われているのでしょうか。

よく言われていることですが、まずメディアリテラシー教育の重要性を本書でも指摘しています。これは単独のスキルというよりも、メディアに対する知識やクリティカル・シンキングなどからなる複合的なスキルです。デジタル・ネイティブ世代でもメディア・リテラシーが高いわけではないという調査結果もあり、日頃から訓練によって身につける必要がありそうです。

またフェイクニュースに異を唱える社会を構築していくことも重要です。情報の正確性や透明性を改善する対策としてジャーナリズムの文脈から生まれてきたのが「ファクトチェック」です。すでに人口に膾炙している概念ですから解説は不要でしょう。

さらに法による規制の動きも出てきています。ドイツではネットワーク執行法を制定し、SNSなどに投稿された明らかに違法なコンテンツを申告を受けてから24時間以内に削除することをプラットフォーム企業に義務付けています。フランスでもメディア法を改正し、偽ニュース対策を進める方針を打ち出しました。ただしこのような法規制に対しては言論の抑圧につながるとの懸念もあり、引き続き丁寧な議論が必要です。

本書のなかばで著者がさりげなく問いかけている問題、すなわち「ユーザは個人情報を差し出し、プラットフォームはターゲティング広告で儲ける」というビジネスモデルが情報生態系の持続的発展に利するのかどうか考え直す時期にきているのではないか、との考えには同感します。

いずれにせよ著者の専門分野である計算社会科学の真価が問われるのはこれからです。むろんフェイクニュース対策はそれ意外の学知やテクノロジーを総動員して対処していく課題であることはいうまでもありません。

コミュニケーション技術の発展が来るべきコミュニズムを可能にするという楽観的な展望がかつてアントニオ・ネグリらによって唱えられたことがありました。はてさて現実はどうでしょうか──。

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