他者と共存していくための〜『9.11後の現代史』
◆酒井啓子著『9.11後の現代史』
出版社:講談社
発売時期:2018年1月
中東地域が政治的にも軍事的にも混乱し治安の悪いエリアと認識されるようになったのは、そんなに昔ではないといいます。複数のデータを照らし合わせると、中東でテロや紛争が増加したのは21世紀に入ってから、特に2003年のイラク戦争以降ということらしい。
本書はそのような事実認識に基づき、昨今の中東地域に出来した混乱の背景を多角的に分析します。著者の酒井啓子は、イラク政治史、現代中東政治を専門とする研究者。簡潔明瞭な語り口で、初学者にも読みやすい新書らしい一冊といえるでしょう。
そもそも20世紀に中東で起きたことは、欧米諸国が行なってきた矛盾のツケが吹き出したようなものだといいます。2001年の9.11のテロ事件を契機にそのツケはさらに大きくふくらんだ感があります。それにつづいて米国が仕掛けたイラク戦争は、その後の中東地域の混迷を決定づけました。
標題に即して言うならば、9.11は「アメリカの外交・安全保障政策を、最初は過剰介入の方向に、次には自国ファーストの方向に、二度にわたってぐるりと転換させる結果を生んだ」といえます。
イラク戦争が理も大義もない戦争だったということは、開戦から10年以上を経て、開戦当事国の一つである英国の公的機関でも認定されました。「無責任でずさんに行われたイラク戦争によって、イラクは秩序が崩壊し、政治は不安定化し、経済は停滞するという悲惨な運命をたどることになった」。
その理不尽さからISは生まれたというのが世界の大勢的な見方です。
そうして「イスラームが暴力化するのではなく、暴力性を抱えた個人や集団が、それを正当化するためにイスラームを利用している」という事態も生まれるようになったのです。
ISを生む直接のきっかけとなったシリア内戦についても、それが「内戦」の形をとっているとはいえ欧米諸国との関係も軽視できません。シリア内戦が長期化した原因として、酒井は「国内で広く民衆の意思を代表できる勢力が反政府側にいなかったこと」のほかに「「内戦」に関連して周辺国や欧米諸国が、ご都合主義的に介入したりしなかったりの態度を取ったこと」にも求めています。
本書でもっとも印象に残ったのは、後半になってようやく言及されるパレスチナ問題に関するくだりです。中東を語る場合、これまではパレスチナの問題は多くの人々にとっては最も重要な問題の一つと考えられてきました。しかし最近のISやローンウルフ型の武装組織は、ほとんどパレスチナ問題に触れることはありません。
犠牲者であることが多様化し、誰しもが犠牲者度合いを競争し、だからこそ自分たちこそが最も報われるべきだと考える現代。かつて皆が「犠牲者としてみなともに悼むべき」と考えてきた、パレスチナの悲劇は、すっかり後景に下がってしまい、自分たちそれぞれが考える「犠牲」からの回復を優先させる。(p196)
中東では誰もが敵に囲まれた犠牲者としてのアイデンティティを強調するようになったという指摘は日本人にとってもすぐれて教訓的ではないでしょうか。
「どちらがより多くの犠牲を被ったかの競争だけに時間と労力を費やしても、徒労である」と酒井はいいます。
誰が他者なのかわからないのならば、「われわれ」と「他者」の違いを明確にする必要はないのではないか。少なくとも、敵だ、悪魔だ、と名付けられる相手が、本当に敵で悪魔なのか、わずかでも疑ってみる冷静さがあってしかるべきだろう。(p215)
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