愛と狂瀾のメリークリスマス_FotorSH

近代日本の努力が凝縮された行事!?〜『愛と狂瀾のメリークリスマス』

◆堀井憲一郎著『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』
出版社:講談社
発売時期:2017年10月

クリスマスは今や日本の年中行事の一つとしてすっかり定着しました。しかし一部には未だにこのイベントに対して懐疑的な態度をとり続ける大人たちがいます。キリスト教徒でもないのにワケもわからず大騒ぎしている、と。商売人の煽りに乗せられているだけというのもアンチ・クリスマスの常套句のひとつでしょうか。

私はどちらかといえば、そのような「大人」の態度にこそ違和感をおぼえてきました。そんなことを言い出せば、日本の「伝統行事」や「宗教的行事」の少なからぬものが同じような懐疑や揶揄の対象になりうるからです。「伝統」と称されているもののなかに日本列島土着のものがどれほどあるでしょうか。外国文化の断片的皮相的な摂取ならば何もクリスマスだけに限りません。クリスマスに対してことさらに違和感を表明することの方が不自然ではないか。そんな風に思ってきました。

堀井憲一郎も私のそれとはやや文脈を異にするもののクリスマスへの違和感に対して違和感を抱いてきたらしい。というわけで本書は日本におけるクリスマスの受容の歴史をたどるものです。前半は布教者が残した書簡などの文献、明治以降はもっぱら朝日新聞の記事を丹念に読み込むという手法で日本のクリスマス受容史にせまります。

「日本のクリスマス受容の動きは、『西洋文化を取り入れつつも日本らしさを保とうとする努力の歴史』であり、日本人が世界を相手に生き抜く知恵だと見ることができる」という著者の結論的な認識には一理あると思いました。クリスマスのありかたは時代とともに変遷を遂げてきましたが、どの時代を切り取っても当時の社会動向や政治思潮と強く連動していることを示していて、その点では興味深い記述がなされています。

あくまで敬虔な信者だけの集まりだった安土桃山・江戸時代の真面目なクリスマス。「キリスト教の宗教的内容は取り入れない。ただ西洋列強の文化はキリスト教を基盤として成り立っているから、キリスト教も学ばないといけない。宗教部分を抜いた “文化としてのキリスト教” をうまく取り入れ」ようとして今日の年中行事化の土台をつくった明治期のクリスマス。戦勝気分がバカ騒ぎをもたらした日露戦争後のクリスマス……。

そして、意外にも満州事変が勃発した昭和6年から3年間は「日本クリスマス史上もっとも狂瀾的に騒いでいた時期」だといいます。軍事国家化が外地で進むぶんには、国民はクリスマスの熱狂を自粛しようとは思わなかったようです。そのことを「きちんと記憶しておくべきである」とは重要な指摘でしょう。

1970年代以降からは朝日新聞をフォローするだけでは不充分とみなして、女性雑誌の「アンアン」「ノンノ」や男性雑誌の「ポパイ」「ホットドッグ・プレス」なども引用しています。著者自身が同時代的に体験した時代ですので、記事に対するアイロニカルな態度があらわになってきます。後半のメディア批評的な文章は、前半とはテイストの異なる読み味といえるでしょう。

もっとも、文献資料に偏向やバイアスがあるのは当たり前の話。メディア批評の姿勢を強調されると、特定の記事のみをベースにした本書の記述全体の信憑性が揺らぐパラドックスに陥るわけで、そこにツッコみを入れたくなる生真面目な読者ならば本書の評価は辛くなるかもしれません。

また、キリスト教の布教に対する物言いが時に辛辣になるのはテーマにも沿った記述だから良しとしても、史実の見方が短絡的だったり、政治的な事象には冷笑的だったり……と枝葉の部分で余計な一言が出てくる箇所が少なからずあって、その点も個人的には少し鼻につきました。

そんなわけで歴史や民俗の研究書的なつもりで手にとると、方法的な不備が批判の的になるかもしれませんが、コラムニストによる主観的な読み物の一つと割り切って付き合うぶんにはおもしろい一冊だと思います。

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