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いつも私に背を向ける母の、終のすみか

今月、母の引っ越しを手伝っている。弟が結婚して新居を実家にすることになったため、母が、昔祖母が暮らしていた部屋に移るのだ。おそらくこの部屋が、母の最後の住まいになるだろう。

家はもともと、三十六年前、父が事務所と倉庫、祖母と自分たちの住まいを鉄筋で建てた家だ。一階が倉庫と祖母の住まい、2階は事務所と私たち家族の玄関、リビング、台所。3階がそれぞれの寝室とお風呂場、ベランダはなくて、洗濯は屋上に干す。事務所、実家、祖母の住まいそれぞれに玄関があり階段が多く、ちょっと複雑な造りではあるが、父の一世一代の晴れ仕事だったと思う。

でも、私たち家族はあまり喜んでいなかった。

母は、祖母にされた「嫁いびり」を私と弟に吹き込み、私たちはすっかり洗脳されてしまい、「お姉ちゃん」の私は、「私がママを守る」みたいな気持ちになっていて、家庭の中はピリピリしていた。

もちろん、家族一同誇らしい気持ちもあった。父の事業は順調で、とにかく都内に家を建てたのだから。

ただ、不満そうな母親に波長を合わせなければと思っていた。「ママがかわいそう。だから私がママを幸せにする。ママが幸せになってから自分の幸せを考える」と10代の頃は本気で思っていた。

父が出張などで家にいないと、2時間でも3時間でも、ひたすらに母の愚痴を聞いていて、相槌を打っていた。

「それってこう言うことなんじゃない?おばあちゃまはママを認めているから、ライバルだと思ってるから意地悪するんじゃない?」

なんて言うと、「やっぱりそう?」なんて言って母はすごく嬉しそうな顔をする。日頃、母からは叱られてばかりだったから、そんな会話でも嬉しかった。

あれから、三十年近く。

まさか、母と祖母の終のすみかがこのような形で同じになるとは思っていなかったけれど、これも因縁、と言うものなのだろう。

母は、相続の時に弟に言われるがまま、自分の分をそっくり、私の分まで弟に渡してしまった。いずれ、私が自分の子供たち、つまり、母と父にとっての孫に受け継がせられるものも、全て。

なんの躊躇いもなく、母は弟に全ての不動産と権利を渡してしまい、自分はごく僅かな現金を受け取ることで印鑑を押した。

しばらくの間、母はウキウキと弟との二人暮らしを楽しんでいた。相続のせいで私とはだいぶ気詰まりになったにせよ、歩いて数分のところに孫たちがいるから会いたければすぐに会える。うるさい夫はいない。可愛い息子との二人暮らし。妻という義務から解放されて気楽な様子だった。

ところが、その暮らしは割と早く終わってしまうことになった。私も、四十九歳まで独身で、今まで一度しか彼女を連れてきたことのない弟が、ここにきてさっさと結婚するなんて意外だったが、本心でもっと意外だったのは母だろう。

「いいの、私はこれで。この方がいいの。階段、きつかったから」

本当にそれでいいのか確かめる私に、殊勝な感じで言い張る。まあ、本人たちが「良い」というのだからなんの権利もない私が口を挟む余地もない。弟は玄関を変えてしまい、合鍵を渡してくれないから(お嫁さんが同居する前から)私は置いておいた自分のものを運び出すことも難しくなってしまい、母の引っ越しの片付けという名目で、自分のものを今の自分の家に運び込む算段をした。

相続の時から、弟のやり方がひどく一方的だったので私はずっと腹を立てていたし、なぜ、どうしてと母と弟の気持ちの内側を理解しようと足掻いたけれど、算段を終えたらなんだかすっと楽になった。

もう、母を幸せにするのが私の仕事、なんて言う考えは私の中にない。

ずっと、母をなんとかしたい、と思っていた。いつも「被害者」として自分を語る母に、「私、幸せ」と言って欲しかった。思い詰めた時期もあった。

でも、母はいつも私に背を向ける。

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「愚痴ばかり言っても何も始まらないよ。何か新しいこと始めたら?」

習い事や旅行、あるいは昔の趣味を復活させる、新しい調理家電を使ってみる、などさまざまなことを提案してきた。私の結婚や出産が、良いきっかけになるのではと期待もした。でも、全て空振りだった。母は、何があっても変わらない。いつまでも「被害者」で「私は悪くない」ところに居続ける。

何かを提案すると最初は「いいわね」と乗り気だけど、翌日必ず電話がある。

「よく考えたけど、やっぱりやめておく」

「あの話、やっぱりやめておく」

そして、私の提案と真逆のことをする。私も次第に慣れてしまい、何も提案しなくなった。

私は私で、やりたいことをどんどんやっていくタチだから、そもそも相性が悪いのだろう。

父が呆気なく逝ってしまうことも、「あなたには一銭もやらない」と母に言われることも、「全部俺のだ」と弟に言われることも、全て想定外で、その度に打ちのめされた。

でも、なぜか今、私は清々しい。

終わったのだ。あの色々あった家から、私はやっと解放される。




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